2014年09月08日(月) 12:00
▲今週は、18歳でイギリスに渡った安藤さんの波乱万丈な海外生活をお届けします
赤見 安藤さんはいつ頃からジョッキーになりたいと?
安藤 ホースマンになるために、最初はイギリスに行ったんですが、その時は調教師になるつもりでした。中学生まではジョッキーになりたいと思っていたんです。だから乗馬を習おうと思ったんですけど、父がダメだと言ったんです。「競馬学校に行くつもりなら、乗馬は受かってからでもいいだろう。受かりもしないのに、そんなに意気込んでどうするんだ」っていうのが父の考えで。スポーツをやっている人間だから、「そんな甘いものじゃない」ということだったんでしょうね。
赤見 お父様はオリンピックに出場されたそうですね。何の選手でいらしたんですか?
安藤 射撃です。だから、猟に行くって、冬はよく北海道に行っていたんです。それで浦河の牧場の人とも仲良くなったみたいです。そこに僕もついて行って、馬の世界がすごく好きになったんです。
赤見 お父様はセタノキングなどの馬主さんでもあったのは、そういうつながりだったんですね。でも、乗馬はダメだって言われて、それからどうされたんですか?
安藤 僕は視力が悪かったので、結局日本の競馬学校は受けられなかったんです。中学生なりの挫折ですよね。それで、調教師になろうと思ったのが高校1年生の時。高校を卒業したらイギリスに行くと決めたんです。まぁ、当時の僕は、ハローのスペルを「Hellow」って書いていましたけどね。英語の試験の点数は3点。卒業できないくらいの成績でした。
赤見 英語が得意だったわけじゃないんですか。でも、なぜイギリスだったんですか?
安藤 あの頃、藤沢和雄先生がイギリスのニューマーケットで勉強したというのが雑誌にたくさん出ていて。「イギリスに行けば僕も調教師になれる」と思ったんです。もうひとつの理由は、フランキー・デットーリがシングスピールに乗っている姿を見て、それがあまりにもかっこよくて。「何これ、かっこいい! どこの国? イギリス? じゃあイギリスに行こう!」って。
赤見 それで単身イギリスに。
安藤 はい。行ったのはニューマーケットじゃなくて、ケントっていう「ピーターラビット」のお話が生まれたところなんですけどね。向こうでまず語学学校に入りました。そこは乗馬もあって、午前中は英語、午後は乗馬という生活。そこに6か月いましたね。
憧れのシングスピールがダルハムホールスタッドというダーレーの牧場にいるのは知っていたので、「馬が見たいんですけど」って電話をしたんです。「日本人か。わかった、来い」って、行ったら隅々まで見せてくれて。その時シングスピールは骨折していて、ギブスをした状態で立っているところを見せてくれました。「何ていい人たちなんだろう」と思いましたね。それで、マネージャーの人に手紙を渡したんです。語学学校で習って一生懸命書いたんですけど、それを読んだとたん、態度が激変。「ちょっと事務所まで来い!」って。・・・
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東奈緒美・赤見千尋
東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。 赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。
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