右目のハンデと付き合いながら…アラブ競走で活躍したモナクカバキチ【動画有り】

2014年12月16日(火) 18:01

第二のストーリー

▲216戦55勝、福山などで活躍したアラブのモナクカバキチ

サラブレッドとも戦った競走馬時代

 モナクカバキチ。1999年4月29日に北海道の浦河町に生を受けたアングロアラブ種だ。中央競馬でもアラブが走っていた時代があったが、スピードに勝るサラブレッドに押されて、生産頭数が減っていき、1995年を最後にアラブ系のレースが廃止された。

その波は地方競馬へも押し寄せ、アラブ系競走が廃止されたり、レース数が削減された。それにともない、アラブ系の生産頭数も馬も下降の一途を辿る。最後までアラブ系だけで競馬を行っていた福山競馬場も、2005年12月には他場から転入してきたサラブレッドを受け入れるようになって存続に賭けたが、2013年3月24日には福山競馬場自体が廃止となってしまった。

 父ホマレブルショワ、母フジミネエリカ…モナクカバキチのブラックタイプに並ぶ馬名は、サラブレッドだけの競馬にすっかり浸ってしまった人間には、恥ずかしながら馴染みがあるものではなかった。しかし、血統表に刻まれた1頭1頭に個性がありドラマがあり、命の火が灯っていたのだと思い至った時に、アラブ系の競馬にももっと目を向けるべきだったと、今さらながら後悔した。

 モナクカバキチは、2001年10月8日に福山競馬場でデビューする。そのレースで1着となって以来、カバキチは走り続けた。引退まで福山競馬場所属だったわけではなく、途中佐賀、名古屋、荒尾にも在籍していた時期もあるが、2008年秋以降は福山に戻り、2012年7月に引退するまで福山競馬場で競走馬生活を送った。

 およそ11年に渡った競走生活で216戦走り、積み上げた勝利は55勝。アングロアラブのエスケープハッチが持っていた54勝という地方競馬最多勝の記録を上回る快挙となった。しかもアラブ限定競走がなくなってからは、サラブレッドと一緒にレースをするというハンデがある中で達成した記録だけに、本当に凄いという他ない。

 カバキチが長い現役生活に13歳で別れを告げたのは、福山競馬が廃止になる約8か月前の2012年夏のことだった。カバキチが安心して過ごせる場所をということで、競走馬時代のオーナーが選んだのが、山梨県北杜市にある小須田牧場だった。

「私の息子が馬輸送の仕事をやっていて、高知競馬にも馬を運んでいるんです。その関係でカバキチの話も出てきました。ウチは競技に出すとか、会員さんにバンバン乗せるという形ではないということで、ここにやって来ることになりました」と、小須田牧場の小須田稔さんは当時を振り返った。

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▲山梨県北杜市にある小須田牧場

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▲モナクカバキチについて語る小須田稔さん

「カバキチは人間の声を待っています」

 その小須田牧場は、標高1160mの山梨県の清里高原にある。車から降り立つと、ピーンと張りつめたよう冷気が頬に当たった。昨年12月7日にマチカネタンホイザが亡くなった直後に訪れて以来、2度目の訪問となる。マチカネタンホイザとともにやって来て、この地で余生を過ごすマチカネフクキタル(セン20)もその時に取材をさせていただいて、今年の正月に記事にさせていただいた。

→マチカネフクキタルの記事はこちらから →マチカネタンホイザの記事はこちらから
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▲タンホイザ亡き後も元気に過ごしているフクキタル

 タンホイザ亡き後も、フクキタルは変わらず元気に毎日を過ごしているようで、ホッとする。動物の持つ独特の勘で、北海道から一緒にやって来た仲間が、もうこの世にはいないことを、おそらくフクキタルはわかっていることだろう。それを受け入れた上で、与えられた生を毎日淡々と生きているのではないか。フクキタルの表情からそう感じたのだった。

 モナクカバキチも、冷たく澄んだ空気の中で静かに佇んでいた。こちらも約1年振りの再会だ。右目が少し濁っている。「はっきりとはわからないのですが、レース中に前の馬が蹴り上げた小石が右目に当たって失明したと聞いています」、小須田牧場の小須田稔さんが言った。

 カバキチは、左目で確かめるようにこちらに顔を向けた。カバキチを前にして、不思議な気持ちになった。この馬が、本当に216戦ものレースを走り、55回も先頭でゴールをした馬なのだろうか。それほどカバキチは静かで、悟りを開いたような瞳をしていた。光を失っているはずの右目に、すべてを見透かされているような気さえする。

 小須田さんによると、カバキチの幸せな余生を願った競走馬時代のオーナーは既に亡くなったという。カバキチが穏やかに過ごせるよう、天国で見守ってくれているに違いない。

「外は寒いですから、中で暖まりませんか?」小須田さんに促されて、ログハウスの中に入った。薪がストーブにくべられ、あっという間に室内が暖かくなった。壁には亡くなった馬の写真が貼られていた。その写真の上には、「ダンバー ありがとう」「ボーン ありがとう」といいう文字がある。小須田牧場で乗馬として長く活躍してきた馬のようだ。

 十分過ぎるほど暖まった部屋で、カバキチについて伺った。

「カバキチは、人間の声を待っています。右目が見えないということもあって、右回りの時は人間の方にグッと頭を向けるようにして、いつも声を待っています。そして声をかけた瞬間に、ふっと元の大人しい状態に戻る。この馬は人間との呼吸を知っているんだね。だからあんなに勝てたのでしょう。ただカーッとなって走っているわけではなかったと思うね。本当にわかっているよね、アイツはね」

 ものすごく利口だというモナクカバキチだが、やはり見えない右目がハンデとなっている部分もあるようだ。「新しい所、知らない所にポンと行った時にね、一般には物見と言われるようなことがありますね。片方目が見えないわけだから、決して物見をしているわけではないんだけどね。そういう面では可哀想かなとも思いますけどね。ただ前に馬がいる分には大丈夫ですよ」

 右目の視力を失っている分、気をつけなければならない部分もあるようだが、音声の指示をしっかりと聞き分け、人間との呼吸を理解しているカバキチなら、このハンデとうまく折り合いをつけていくことも可能だろう。

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▲音声の指示を聞き分け、人間との呼吸を理解するカバキチ

 小須田さんは言う。「ウチには、厩務員さんをやっつけちゃったとか、危ないから気をつけてくださいという馬が、過去に2頭ばかり来ました。でも人間が良い意味で手をかけないことの大事さがあるんですね。そうすれば、人間が手を伸ばすのを馬は待っているんです。それが毎日毎日腹帯締められて、毎日ハミつけられたら、人間が来るのが嫌になるでしょうね。

中央でも走っていたチュニジアンブルー(牡8・現在は高知競馬所属)が休養に来ていたのですけど、あれはとてもうるさかったですよ。でも休養中に見にいらしたオーナーが、こんなに大人しくなるとは思わなかったと言っていました。でもそれは、腹帯締めてガンガン調教をやらないからであって、腹帯締めてある程度やっていけば、また変わってきますよ。ただ元々が真に悪い馬はいないです。その仕事や状況の中でうるさくなってしまう場合があるということですよね」

 長年、馬とともに過ごしてきた人の言葉だけに説得力があったし、現役時代は気性が激しいと言われていた馬が、穏やかな乗馬となっている例が数多あることからも、それは十分に理解できた。

 小須田さんの含蓄ある話を聞いているうちに体が暖まってきたので、丸馬場に放牧されていたカバキチの元に向かう。カバキチは、時折小走りになるなど、繋がれて静かに立っていた時とは印象が違って元気一杯だ。人参を差し出すと、喜んで食べた。隣に放牧されている馬に人参を差し出すと、その馬を威嚇して見せた。この気の強さがあってこその55勝だったのだと、秘めたる闘志とプライドを垣間見た気がした。

 空がどんよりとしたかと思うと、やがて白いものが落ちてきた。見守るこちらは寒さが身に応え始めていたが、カバキチは雪の中でもなおハツラツと動き回っていた。

 元気一杯のカバキチに別れを告げて、道路を隔てた向こう側にある放牧地に向かう。その一角に、マチカネタンホイザが生前に過ごしていた場所がある。花を供えて手を合わせた。降りしきっていたはずの雪が、いつの間にか止んでいた。

(取材・文・写真:佐々木祥恵)


小須田牧場

山梨県北杜市高根町清里3545

電話 0551-48-2267

※主に女性や子供、初心者を対象にした乗馬牧場です。引き馬から体験できます! 宿泊乗馬コースあり。

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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