2015年07月13日(月) 18:01 37
【前回までのあらすじ】
容貌魁偉の調教師・徳田伊次郎、32歳。亡き父の跡を継ぎ、南関東で6馬房の厩舎を構えている。厩舎は三流で、従業員は無気力。伊次郎は厩舎改革にとりかかり、その1番手として牝馬のシェリーラブが出走。軽快に逃げ切り、厩舎初勝利を挙げた。次は牡馬のトクマルで、単機能の「逃げ作戦」をつづける。
ゲートがあいた次の瞬間、主戦の藤村を背にしたトクマルが、横並びの他馬より体半分前に出た。
「ダッシュよく出たのは3番のトクマル!」
実況アナウンスが響く。レース中、トクマルの名が呼ばれたのはいつ以来だろう。
前走までは、後ろに控えて……というか、ついて行けずに位置取りが悪くなり、そのまま後方に沈む競馬を繰り返していた。スタートからゴールまでずっと後ろのままの、いわゆる「馬場掃除」というやつである。
しかし、きょうのトクマルは違う……はずだった。
1完歩目はジャンプするように出て、2完歩目も勢いに乗ってスムーズだった。が、3、4完歩目が遅い。
内と外から、同型の逃げ馬が並びかけてくる。
どのレースでも、徳田厩舎の「とおせんぼジジイ」として立ちはだかるベテラン騎手・矢島の本命馬が内、若手のホープ・小林が乗る牝馬が外だ。小林が乗っているのは、藤村が騎乗依頼を断った馬である。
3頭が横並びになった。
――さあ、どうする、藤村。
ここから強引に抜け出すか。それとも、いったん下げて、ペースが落ちたところでハナを奪い返すか。
藤村が選んだのは、どちらでもなかった。
無理に行くでも下げるでもなく、内に矢島の馬、外に小林の馬を従え、3頭で雁行して馬群を引っ張る手に出たのである。
3頭は鼻面を揃えたまま、1コーナーに進入して行く。
矢島と小林は、名手同士の阿吽の呼吸で、同じレースプランを描いていたと思われる。真ん中のトクマルを両側から同時にかわしたあと、コーナーワークで内の矢島が前に出て、小林が砂を被らない外目の2番手となり、レースをつくるつもりだったのだろう。
――藤村のやつ、それをわかっていたようだな。
要は、藤村も、矢島と小林の域に達している、ということだ。そして、矢島と小林がつくりかけたレースを、あえて壊す乗り方をしている。・・・
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆~走れ奇跡の子馬』。
関連サイト:島田明宏Web事務所