2015年07月20日(月) 18:00 38
【前回までのあらすじ】
容貌魁偉の調教師・徳田伊次郎、32歳。亡き父の跡を継ぎ、南関東で6馬房の厩舎を構えている。厩舎は三流で、従業員は無気力。伊次郎は厩舎改革にとりかかり、その1番手としてレースに出た牝馬のシェリーラブが軽快に逃げ切り、厩舎初勝利を挙げた。次に出走した牡馬のトクマルもハナを譲らず、先頭のまま直線に入った。
トクマルが、矢島が乗る本命馬の外にぴったり併せ、先頭で直線に入った。
さっきまで並走していた小林の馬は2馬身ほど置かれ、急激にペースアップしてきた後続に呑み込まれようとしている。
ラスト200メートル地点。内の矢島の手はまだ動いていない。
トクマルに乗る藤村が、右で2度、すぐさま左でまた2度、見せ鞭をした。
小林の馬は馬群に吸収され、さらに後退して行く。替わってほかの馬が伸びてくるか……と思いきや、前の2頭との差は縮まらない。
その差と手応えからして、勝つのは、トクマルか矢島の馬のどちらかだ。
矢島が強烈な左ステッキを振るい、トクマルに馬体を寄せてきた。「カチッ!」と鐙と鐙がぶつかる音が聴こえてくるかのようだった。
藤村が、また見せ鞭をした。それに反応し、トクマルがグイッと首を下げた。
――まだバテていないな。
ラスト100メートル。内の矢島の馬がわずかに前に出た。
それでも藤村はトクマルに鞭を入れない。
――最後の爆発力にかけているのか。それとも、叩いて反発される可能性を恐れているのか?
前走までのトクマルなら、どれだけ叩いても知らん顔だったが、ギリギリまで体を絞った今は、全身のセンサーがちょっとの刺激で振り切れるほど過敏になっている。
ラスト50メートル地点で、トクマルが矢島の馬から半馬身ほど遅れ出した。
――どうした、これで終わりか?・・・
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆~走れ奇跡の子馬』。
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