2014年09月30日(火) 18:00
記憶は怪しいが、たぶん初めて馬券を買って参加したのが、学生時代の1969年の有馬記念だった。スピードシンボリが2度目の海外遠征(1回目は4歳時のワシントンDCI)から帰ってきた年で、当時は7歳と年齢表記されていたスピードシンボリは、7月の「キングジョージVI&QESから、ドーヴィル大賞典、凱旋門賞」。日本馬として初めてヨーロッパの平地のビッグレースに挑戦して帰国したあとの、有馬記念だった。
惨敗して帰ってきたスピードシンボリは人気がなかったが、若いアカネテンリュウを翻弄(ほんろう)するように、野平祐二騎手とのコンビで勝ってみせた。スピードシンボリは翌1970年の有馬記念も8歳馬(いまの7歳馬)として勝っている。
父ロイヤルチャレンジャー(その父ロイヤルチャージャー)は、当時は主流の有名な種牡馬ではなかったが、あれから半世紀近い年月が経ち、ロイヤルチャージャーといえば、泣く子も黙るサンデーサイレンスの直系4代父に当たるから、スピードシンボリは50年近くも前に、やがてのロイヤルチャージャー系(サンデーサイレンスなど)の隆盛を最初に告げたという意味でも、先駆者なのかもしれない。
スピードシンボリと世界のビッグレースに挑戦してきた野平祐二さんの心に残るセリフは、その遠征から20年も30年以上もが経過して、多くの関係者や、報道陣や、ファンが、「凱旋門賞」制覇こそ日本馬の悲願であると、このシーズンになると大きな特集記事が組まれたりするようになってからのことだった。
お洒落でキザな野平祐二さんこそ、凱旋門賞に強い思い入れがあると思っていたら、「内緒だけど、それはロンシャンも、シャンティでもいいんだけど、あのね、柏木クン。競馬というなら、ホントはアスコットですよ。女王陛下のロイヤルアスコットでしょ」
それは、ロイヤルアスコットの王室競馬が抜けて素晴らしいという意味ではなく、日本の目標はやっぱり凱旋門賞ですかねぇ、というような話題になったときに、もっと目ざすべき世界のビッグレースはいっぱいあるのにね……という意味だった。
野平さんの時代に志を高く掲げたホースマンたち…。和田さんや、善哉さんや、オーナーの北野さんたちにとり、英ダービーも、キングジョージVI世&QESも、凱旋門賞も、アメリカのビッグレースも、いつの日か、きっと日本の馬で勝ってみせる。いつか、きっと勝てる日がくるレースだったのである。
長年の経緯からして、まず、そろそろ区切りをつけ、凱旋門賞神話から脱皮できる時がきた気がする。今年、各ブックメーカーのオッズが、上位人気馬でも6倍で横並びや、7-8倍にとどまっている。強豪乱立の接戦ではなく、信頼に足る中心馬がいなくなってしまったからだ。一方の日本の3頭には、それぞれ大きな意外性が秘められている。
最近20年間の凱旋門賞の勝ち馬は、うち「16頭」までが・・・
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