「亡くなるまで1度も倒れなかった」パリスハーリー27歳の大往生

2015年01月20日(火) 18:01

第二のストーリー

▲京都記念優勝馬、パリスハーリーの馬生を振り返る

初めは下草を食べるのも不慣れで

 1993年の京都記念優勝馬のパリスハーリー(セン)が、1月3日に息を引き取った。競走馬を引退後は乗馬として活躍していた同馬は、およそ4年半前から北海道共和町のホーストラスト北海道(現在は共和町分場)で余生を過ごしていた。「亡くなるまで1度も倒れませんでした。プライドの高い馬でした」とハーリーの様子を、マネージャーの酒井政明さんは教えてくれた。27歳、正に「大往生」という言葉がふさわしい最期だった。 

 パリスハーリーは、父ハーリー、母スイートリチャードの間に1988年4月10日に生を受けた。フランス生まれのハーリーという種牡馬の記憶がほとんど抜け落ちていたのだが、調べてみるとこのパリスハーリーが唯一の活躍馬だったようだ。競走馬としては、栗東の加藤敬三厩舎から1991年4月20日に4歳未出走戦でデビューし、初戦を飾った。1992年11月21日の比叡S(1500万下)に勝ってオープン入りを果たしている。

 京都記念に優勝したのは、翌年、昇級して3戦目のことだった。京都記念を頂点としてその後は2桁着順が続き、1994年の関門橋Sで2年連続2着になったレースを最後に、引退している。22戦6勝、これがパリスハーリーの生涯成績だ。競走馬登録抹消後は、乗馬として第二の馬生を歩んできた。

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▲ホーストラスト北海道で元気に過ごしていたパリスハーリー

 ハーリーにはOさんというオーナーがついていた。当初はOさんの息子さんの乗馬として試合にも出場して活躍していたが、息子さんが就職して乗馬から離れた後は、乗馬クラブの所有となった。ただし、ハーリーが乗馬を引退する時は、Oさんが引き取る心づもりでいた。

「オーナーさんは、馬産地である北海道で過ごさせたいとおっしゃっていましたから、それでウチに預けてくださったのかもしれませんね」(酒井さん)

 乗馬を引退したハーリーがホーストラストにやって来たのは、2010年6月6日だった。岡山県で乗馬として長い馬生を過ごしてきたせいか、酒井さんの目には疲れているように映ったという。「初めは(放牧地の)下草を食べるのも慣れていなかったようで、首が痛くなって下を向けなくなり、草を食べられないということもありました」(酒井さん)

「他の馬にも馴染めなかった」というハーリーは、神経質な馬でもあった。そのハーリーにも、やがて友人ができた。「ハーリーより2歳年上のベルクノイエスという馬で、年を取った者同士、波長が合ったのでしょうかね。常に一緒でした。ウチのスタッフとも、茶飲み友達ができたねと言っていたんですよ」(酒井さん)

 他の仲間とはほとんど交流を持たなかったハーリーだが、ベルクノイエス(セン29)には心を開いた。サラブレッドではなく中間種のベルクノイエスは、乗用馬だった。同じ境遇だったハーリーとベルクノイエスは、お互いを理解し合えた心の友だったのではないかと勝手に想像した。2頭の会話を、聞いてみたかったとも思う。

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▲立って寝る派のパリスハーリーと、横になる派のベルクノイエス

最期まで誇りを失わなかったハーリー

 昨年の夏、ハーリーのもとに懐かしい人が訪れた。「かつて生産した馬の元気な姿を入院中のお祖父さんに見せてあげたいということで、生産牧場のお孫さんがお祖母さんと一緒に来てくださいました」(酒井さん)

 ホーストラスト北海道のフェイスブック(2014年8月23日付け)にも、その様子がアップされていて、曳き手を持つお祖母さんの方に首を伸ばして顔を寄せるハーリーの写真も掲載されている(下記写真)。故郷の牧場を離れて20数年を経ても、お祖母さんを覚えている。ハーリーの表情がそれを物語っていた。そしてお孫さんが撮影した動画や画像の中のハーリーの姿は、お祖父さんを力づけたに違いない。

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▲パリスハーリーに会いに来た生産牧場の方々

 ハーリーの神経質な部分は年を重ねてもさほど変わることはなかったが、ベルクノイエスとともに、日々マイペースに過ごしていた。「顔に白髪が生えてきて老け顔でしたし、体も年を取ったかなという感じでしたけど、動き自体は機敏でした。タッタッタッタというリズムで速歩をしていましたしね」

 そして誇り高い馬でもあった。

「人間に対しても、気の強いところ、プライドの高いところがありましたね。馬房に入れて治療をする時も、嫌となったら頑として嫌なんです。頭下げるのも嫌がったりしていました。競走馬、乗馬として人間の手がかかって来てはいるのですが、頑固な面はありましたね」(酒井さん)

 昨年の12月半ばに体調を崩したハーリーは、大晦日の31日に、41度の高熱が出る。死という運命が、そこまで来ていた。

「元々食の良い馬だったんですが、急に食べなくなってしまって。大晦日ですけど獣医さんに来て頂いて、抗生物質を投与するなどして、3日間は頑張ってくれました。苦しかったと思うのですが、最期の時を迎えるまで1回も倒れなかったんです。1度だけよろめいたのですが、それも踏みとどまりましたしね。そういう馬を初めて見ました」(酒井さん)

 最期まで誇りを失わなかったハーリーは、1月3日の早朝、天に召された。「いつもは大学で解剖してもらって死因を特定するのですが、今回は大学もお休みでしたし、5日に保健所で検体していただきました。当初は腸が悪いのかと思いましたが、肺に原因があったようです。ただこれはもう老衰と言っても良いのではないかということでした」(酒井さん)

 茶飲み友達を失ったベルクノイエスが気になった。「いつもハーリーと一緒に放牧地でボーッとしていましたので、寂しそうには感じますね」(酒井さん)。それでも、仲間の死をしっかりと受け入れているのか、淡々と過ごしているようにも見えるという。

「いなくなってみてわかったのですが、ハーリーがベルクノイエスを頼っていたのだと思います」(酒井さん)。ベルクノイエスのそばには、今もハーリーがいて、魂の交流は続いている。そんな気がしてならない。

「ハーリーだけ、食事を小分けにして回数が多かったのですが、食事の時にスタッフが大きい声で『ハーリー』と呼ぶと、いつも走ってくるんですよね。遠くにいても呼ぶと頭を上げて、それから走ってくるんです。お客様がいらした時もそうでしたね。呼んでも他の馬は来ないのに、ハーリーだけ走ってくるんです。その姿をもう見られないと思うと寂しいですね」(酒井さん)。誇り高いはずのハーリーが、呼ばれると走ってやって来る。その様子は微笑ましくもあった。

「馬にも人間のように『頑張ろう、生きていきたい』という意志があることを、亡くなるまで倒れなかったハーリーから教わりました。馬から教わることばかりです」

 酒井さんの言葉が胸に響いた。(つづく)

(取材・文:佐々木祥恵、写真提供:ホーストラスト北海道)


NPO法人 ホーストラスト北海道

〒045-0024
北海道岩内郡岩内町字野束463番地の1
TEL:0135-62-3686
FAX:0135-62-3684

見学期間 3〜4月以外見学可(8月10日〜20日は不可)
見学時間 夏期10:00〜15:00、冬期13:00〜15:00

※訪問する際には必ず事前連絡をしてください。

ホーストラスト北海道HP

http://www.horse-trust.jp/hokkaido.html

ホーストラスト北海道facebook

https://www.facebook.com/horsetrusthokkaido

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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