2015年02月17日(火) 18:01
今にして思えば、2010年は自分にとって大きな変化の年だった。コーチを付けて、本格的に技術向上を目指し始めたこともそうだが、気持ちの面でも、それまでとは違った方向に大きく舵を切った年だった。
きっかけとなったのは、友達からの叱咤だった。伊藤英明と市川海老蔵だ。英明がひとつ上で、海老蔵がひとつ下のいわば同世代。共通の知人を介して知り合ったのだが、海老蔵は競馬が好きで、英明は馬が好きだった。となれば、仲良くなるのに時間はかからない。そう機会は多くなかったが、東京に行ったときには、よく飲みに行くようになった。
以前にも書いたが、人間関係を築くなかで、自分とはまったく違うタイプの人間に惹かれる。このふたりもまさにそうで、とにかく彼らはいつだって強気で、自信を持って前に突き進んでいくタイプだった。
そんなふたりに、「お前、なにやってるんだよ!」と叱咤されたのが、2010年の夏。確か、メリッサで北九州記念を勝った直後だったと思う。「武豊がいないときに、お前が一番じゃなくてどうするんだよ!」。そういって彼らは自分に発破をかけ続けた。豊さんは、その年の毎日杯で落馬。丸々4か月間休養し、8月に復帰したばかりだった。
自分にはずっと、「天狗になったらアカン」という思いがあった。どんなときも、誰に対しても謙虚に。ずっとそういう姿勢でやってきたつもりだった。でも、謙虚さと自信のなさは紙一重。いつしか謙虚な気持ちが弱気に変わり、弱気が自信のなさにつながっていたように思う。技術的にはゼロからスタートすることができたが、ことリーディングに関しては、どこかあきらめにも似た気持ちが頭をもたげかけていた。
英明と海老蔵は、そんな自分の気持ちを見抜いていたんだと思う。だからあのとき、満を持して強い言葉で自分をたき付けた。彼らは、「自分ならやれる、一番になれると思い込め」とも言った。自分がどうなりたいか強く思うこと、そして思い込むことの大切さ、さらに思い込むことで人間は変われるということを彼らは教えてくれた。正直、あの日のふたりの言葉は、心の奥底にズーンと響いた。
実際、それからの自分は変わった。・・・
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2013年にJRA賞最多勝利騎手に輝き、日本競馬界を牽引する福永祐一。まだまだ戦の途中ではあるが、有言実行を体現してきた彼には語り継ぐべきことがある。ジョッキー目線のレース回顧『ユーイチの眼』や『今月の喜怒哀楽』『ユーザー質問』など、盛りだくさんの内容をお届け。
福永祐一
1976年12月9日、滋賀県生まれ。1996年に北橋修二厩舎からデビュー。初日に2連勝を飾り、JRA賞最多勝利新人騎手に輝く。1999年、プリモディーネの桜花賞でGI初勝利。2005年、シーザリオで日米オークス優勝。2013年、JRA賞最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、初代MVJを獲得。2014年のドバイDFをジャスタウェイで優勝。
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