志があれば道はひらける

2015年09月24日(木) 12:00


馬肥ゆる秋のさらなる進化に期待

 ジンクスを気にしたり、縁起をかついだりするときがある。だが結局この行為は、自分に消極的な暗示をかけていることに気づく。また、人の身の上にめぐってくるものを運命ととらえることも多い。そして、その運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に出会うことがある。自分から幸、不幸をつくって、これを運命と名づけることもある。こうした迷いにわが漱石先生は、こう断を下していた。運命は、神の考えることだ。人間は人間らしく働けばそれでいいのだと。そうか、個々は完全無欠ではないのだから、その適性の中で本領を生かすしかないのである。清々しく言えば、志があれば道はひらけるのだ。そして、そこには因果の法則が見えてくる。物事によくある因果関係、原因と結果。まるで、競馬のレース展開みたいなものだ。

 セントライト記念のレースの流れを見ていて、ダービーが頭に浮んだ。ミュゼエイリアンが逃げ、キタサンブラックがこれを追いかけている。どこまでいっても1番手と2番手は変わらない。ところがダービーの前半1000米は58秒8と速かったのに、こちらは61秒1とゆっくりだった。もっと細かく言えば、ポジションが定まるまでは速かったが、800米すぎからの4ハロンがペースダウンしていたのだ。当然、中山競馬場ならこの流れは先行馬に有利なことは間違いない。その適性のなかで本領を生かす、勝ったキタサンブラック、2着のミュゼエイリアンは「因果の法則に合致した」戦い方ができていたのだった。両馬とも、キタサンブラックはキタサンブラックらしく、ミュゼエイリアンはミュゼエイリアンらしく走り、この結果を導きだしたのだ。

 ただ、ペースダウンできたセントライト記念は、特にキタサンブラックに運命の神が味方したと言える。この先の大一番では消極的な暗示をかけるのではなく、あくまでも自分らしく戦うと思うが、この「因果の法則に合致した」戦いの先にあるものが何であるか、馬肥ゆる秋のさらなる進化に期待したい。それにしても、あのペースの中、あれだけのタイムで駆け抜けた今年のダービーは、かなりのレベルにあったとしみじみ感じ入った次第だ。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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