2016年08月20日(土) 12:00
中でも、トウショウボーイに騎乗して、鹿戸明騎手のテンポイントとマッチレースを繰り広げた1977年の有馬記念(当時私は高校生)は強く印象に残っています。他の馬は眼中にないかのような一騎打ち。あれから40年近く経っていますが、その間、あのようなゾクゾクするレースは見た例しがありません。
負けたレースなので、ご本人は悔しい思いを抱えていらっしゃったかもしれません。でも、スゴイものを見せていただきました。謹んでご冥福をお祈りします。
そして今週は、豊田泰光さんの訃報が伝えられました。西鉄ライオンズの黄金時代に大活躍された名選手。私はその現役時代を直接知る人間ではありませんが、解説者の豊田さんにはいろいろお世話になりました。私が文化放送に入社した頃に、ちょうど同局のプロ野球中継で解説をされていたからです。
入社して間もなくは、中継カードの球場ではなく、それ以外の球場で途中経過送りの実況をすることが主な仕事でした。当時、フジテレビのプロ野球ニュースにも出演されていた豊田さん。担当カードの取材に来られた時は、たいがい文化放送の放送席で観戦されていました。当然ながら、私の隣に座ることもあったわけです。めちゃめちゃ緊張しましたが、その一方で、望んでもできないような勉強をさせていただいたのも確かです。
そんな状況で喋ったことが何回かあった頃、フジテレビに入った同期の某アナから、こんな話を聞きました。「豊田さんが『文化放送にけっこう喋れる新人がいるぞ』って言ってたよ」。ちょっと自慢っぽくなって申し訳ありませんが、あの豊田さんに目をかけていただいたわけです。うれしかったですねぇ。
私が本番カードの実況を担当させてもらえるようになってからは、何度か豊田さんとコンビを組んだこともありました。他の解説者の方には失礼な話ですが、豊田さんとご一緒するときが一番張り切って喋っていたような気がします。
私が局を辞めてフリーになろうとした時には、豊田さんに思いとどまるよう説得もされました。ご自宅に呼ばれて「またオレと一緒に野球中継をやろう」と言われたのです。この時の“動揺”は忘れられません。でも「フリーの私を待ってくれている人もいるので」と、結局はその説得を振り切ってしまいました。今思えば、よくもそんなことができたものです。
数年後、球場で「競馬、頑張ってるみたいだな。辞めてよかったな」とお声をかけていただいた時は、涙が出るほど感激しました。競馬も野球も他のスポーツも、“辛口”の豊田さんに認めてもらえるような実況をすることが私の目標になっています。それは、豊田さんが亡くなっても変わることはありません。
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矢野吉彦
テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。
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