勝ち気なマイル王・アドマイヤコジーン 遺された仔に思いを託して

2017年09月12日(火) 18:00

第二のストーリー

▲02年安田記念を制したアドマイヤコジーンの物語(写真提供:株式会社クラウン) ※転載不可

今年の安田記念と産駒の誕生を見届けるかのように…

 1998年の朝日杯3歳S、2002年の安田記念など、GI2勝を含め重賞5勝のアドマイヤコジーン(牡)が、北海道沙流郡日高町のクラウン日高牧場で、6月6日に息を引き取った。21歳、突然の旅立ちだった。

 アドマイヤコジーンは、1996年4月8日に北海道大樹町の大樹ファームで誕生した。父はCozzene、母はアドマイヤマカディ、母の父はノーザンテーストという血統だ。祖母のミセスマカディーは1977年の1000ギニーの優勝馬で、ダンスオブライフの子をお腹に宿した同馬を1990年に大樹ファームが輸入。日本で生まれた2頭の産駒のうちの1頭が、アドマイヤコジーンの母アドマイヤマカディだった。

 アドマイヤマカディは不出走のまま繁殖に上がると、アメリカに渡ってCozzeneを配合された。母と同じようにお腹に子を宿してまた海を渡り、大樹ファームへと戻ってきた。そして生まれたのが、芦毛の男の子だった。

 アドマイヤコジーンと名付けられた同馬は、栗東の橋田満厩舎から1998年10月に京都競馬場でデビューし、3着。2戦目で初勝利を挙げ、3戦目に東京スポーツ杯3歳S(GIII)に優勝して、ステークスウイナーとなった。

 続く朝日杯3歳S(GI)では1番人気に推され、それに応えてエイシンキャメロン以下を抑えてトップでゴールイン。GIホースに名を連ねたアドマイヤコジーンは、この年のJRA賞最優秀3歳牡馬(現在のJRA賞最優秀2歳牡馬)にも選出され、クラシック戦線での活躍が期待された。だが好事魔多し。明け4歳の1月に右後ろ脚を骨折して休養。復帰を前に今度は左後ろ脚を骨折し、併せておよそ1年7か月もの長期間の戦線離脱を余儀なくされた。

 復帰戦の2000年7月のUHB杯(OP)で4着となったが、しばらく掲示板すら載れずに2000年を終えた。2001年初戦の阪急杯(GIII)で3着と久々に好走し、春の福島民報杯(OP)で2着に入るなど、まだまだ物足りなくはあったが、存在感は示すようになった。

 そして2002年。この年から、後藤浩輝騎手が手綱を取り(2000年にも札幌記念・GII・11着、富士S・GIII・8着の時も騎乗)、東京新聞杯(GIII)で久々に勝ち星を挙げると、続く阪急杯(GIII)にも優勝。重賞2連勝で臨んだ高松宮記念(GI)では2番人気に推され、ショウナンカンプの2着に入る。

 続く安田記念(GI)では7番人気と評価は高くはなかったが、ダンツフレームをクビ差退け、朝日杯3歳S以来のGI制覇を成し遂げたのだった。

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▲後藤浩輝騎手を背に悲願のGI制覇(撮影:下野雄規)

 秋はステップレースに出走させずに、スプリンターズSにぶっつけで参戦してビリーヴの2着となり、マイルCS(GI)では1番人気に支持されたが7着と敗れている。暮れの香港マイル(GI)は武豊騎手に鞍上がスイッチされたが4着に敗退し、これを最後に競走馬登録を抹消。秋は勝ち星に恵まれなかったが、この年のJRA賞最優秀短距離馬に選出されている。

 引退後の2003年から北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬生活をスタート。初産駒がデビューした2006年は新種牡馬サイアーランキング1位に輝き、翌年にはスプリンターズ(GI)を制したアストンマーチャン(牝)を輩出するなど、順調な滑り出しを見せた。

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▲種牡馬入りを果たし、産駒も活躍を見せた(写真提供:株式会社クラウン) ※転載不可

 2011年シーズンからは新ひだか町のレックススタッドで供用されていたが、2015年の種付けシーズン途中に生殖能力低下のため、種牡馬引退が発表された。折しもその前年にスノードラゴンがスプリンターズSに優勝して、配合申し込みが増えていたが、コンディションが整わずに種付けができない状況が続いたため、種牡馬続行を断念せざるを得なかった。

「レックススタッドの方と日高クラウン牧場のスタッフが知り合いという縁もあり、会長と相談をしてクラウン日高牧場で受け入れることになりました」と話すのは株式会社クラウンの代表取締役・矢野恭裕氏だ。

 白い馬体に黒くつぶらな瞳が可愛らしいイメージがあったが、実際のアドマイヤコジーンは相当きつい馬でもあったようだ。

「かなり危ない馬だという話を皆さんがしていました。種付けの時には、蹴ったり噛みついたりということもあったと聞いています。種牡馬を扱っていたベテランの方のご助力をいただきながら、少しずつ扱い方を覚えていったのですが、丁寧に扱っていけば、そんなに激しさは出さなかったですし、最後の方では普段扱うのに困ったということはありませんでしたね」

 それでもやはり気性の強さは随所に見せてもいた。

「勝ち気は勝ち気でした。顔を触ろうとすると噛みつこうとしましたしね。悪意があるわけではなくて、じゃれついてくるような感じでしたけど。バナナをあげている時には、どこを触っても良いよ、幸せっていう顔をしていました(笑)。人参やリンゴも食べますけど、バナナは本当に大好きで、バナナの袋を見た瞬間に耳がピーンとなっていました(笑)」

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▲バナナを目にすると興奮する無邪気な一面も(写真提供:株式会社クラウン) ※転載不可

 気性のきつさ、激しさを持ち合わせながらも、バナナには目がないアドマイヤコジーン。このギャップがまた彼の魅力なのだろう。

 牧場での1日は朝の飼い葉つけから始まる。朝ご飯を食べたあとは、パドックでのんびりと放牧を楽しみ、ウォーキングマシンで1時間から1時間半くらい運動をする。昼に馬房に帰ってきて昼飼い葉を口にしたあとは、お手入れの時間となる。

「お尻にメラノーマという癌がありましたので、毎日洗っていました」

 少しでも快方に向かえばと、矢野代表はメラノーマについて勉強を重ねた。

「切除も考えたのですが、年齢も考慮してそれは見送りました。海外の文献を取り寄せて良い治療法がないのか調べました。ワクチンができそうだという話もあって、間に合えば良いなと思っていました。シメチジンという薬があって、その薬の副作用に発がんを抑えると文献にあったので、獣医師に相談したところ、試してみて悪い薬ではないからと言ってもらえたので、それをずっと投与していました。

 大きくなるのは少し緩やかになっていた実感はありましたが、小さくなってなくなるという感じでもなかったですし、実際それが効いていたのかはわからないですけどね。カバノアナタケというきのこが効くと聞いたので、それを取り寄せしていたのですが、亡くなったのはその矢先のことでした」

 クラウン日高牧場に移動してきてからのアドマイヤコジーンは、メラノーマ以外は至って元気に過ごしており、2016年からは少頭数ながら種付けも行っていたという。

「2016年に種付けして2017年生まれが4頭、今年種付けをして受胎が確認されたのが1頭。これが最後の産駒になる予定です」

 アドマイヤコジーンが亡くなった6月6日の朝2時頃に新しい命が誕生した。これがアドマイヤコジーンの今年生まれの最後の子供だった。その数時間後、アドマイヤコジーンに異変が起きた。

「パドックからウォーキングマシンに入れ替える間、1度馬房に戻したのですが、他の馬を見ていなないたなと思ったのですが、いつもとどこか様子がおかしいといことでスタッフが見に行ったら馬がバタバタしているということで、獣医さんを呼びました。元々、その日は獣医師が来る予定で近くまで来ていたのもあって2分くらいで駆け付けてくれました。

 すぐに診てもらいましたが、大動脈破裂で手の施しようがなくて…。ただ長く苦しまずに亡くなりましたので、それだけが救いですね」

 アドマイヤコジーンの訃報を知ったファンからは、供花も届けられた。

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▲ファンから馬房いっぱいに供花が届けられた(写真提供:株式会社クラウン) ※転載不可

「1年に何組かファンの方が会いに来てくださいましたし、バナナなどの詰め合わせを送ってくださる方もいました。今回は供花も届いて、改めてファンが多い馬だったということを実感しました」

「こちらに来た当初に比べると毛ヅヤもだいぶ良くなってきましたし、元気でしたからもっと長生きしてくれると思っていました。本当に残念です」

 電話口からは無念さが伝わってきた。

 アドマイヤコジーンには、少ないけれども遺された子供たちもいる。2017年に生まれた4頭(母馬名クラウンミストラル、クラウンエリザベス、クラウンモンロー、ナナリー)、そして来年生まれる予定の1頭と少頭数ながら残された子供たちがいる。さらにレックススタッド時代に種付けをしたアドマイヤコジーン産駒が矢野代表名義で競走馬登録されている。

「芦毛のクラウンクラシックという馬で、これがなかなか良いツラ構えをしているんですよね」

 8月26日の新潟競馬場でのデビュー戦は17着と敗れはしたが、今後どう変わっていくか注目していきたい。

 旧約聖書には「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」という言葉がある。

「アドマイヤコジーン自身も制した安田記念(今年は6/4)を見届け、さらには今年最後の子供が生まれたのを見届けて…という感じでしたからね」(矢野代表)

 矢野代表のこの言葉に、アドマイヤコジーンも時を選んで天国へと旅立っていったのかもしれない。そんなことを思っていた。

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▲アドマイヤコジーンも時を選んで天国へと旅立っていったのかもしれない(写真提供:株式会社クラウン) ※転載不可

(了)

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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