【騎手引退】平野優元騎手(3)『異国で障害の才能を披露したナカヤマフェスタ』

2018年01月29日(月) 12:01

おじゃ馬します!

▲宝塚記念優勝時のナカヤマフェスタ。この後渡仏し、異国でまさかのシーンが… (C)netkeiba.com

昨年末に8年間のジョッキー生活にピリオドを打った平野優元騎手。ジョッキーから攻め専に転向する方が多い中、自らの意思で持ち乗り厩務員を選びました。その真意はどこにあったのでしょうか? 話は、デビュー以来ずっと所属していた二ノ宮敬宇厩舎の思い出に。2010年の宝塚記念を制し、同年の凱旋門賞で2着に好走したナカヤマフェスタのエピソードも明かします。(取材:赤見千尋)


現役生活を支えてくれたルチャドルアスール

赤見 引退について、二ノ宮先生には相談されたんですか?

平野 11月の終わりごろだったかな、先生には一番先にお話しました。先生からも、「お前、これからどうするんだ? 正直、続けていくのも厳しいだろ?」って言われて、僕もそう思っていたので、じゃあこの先どうしようかという話になって。先生からは、「助手や厩務員になるにしても、その前に海外の競馬を見てきてもいいんじゃないか」とアドバイスをいただいたんですけどね。

赤見 そうだったんですね。じゃあ、そういった選択肢も視野に入っていたわけだ。でも、すぐに伊藤大士厩舎に決まりましたよね?

平野 そうなんです。伊藤大先生には普段からお世話になっていたので、二ノ宮先生とお話した次の週に、さっそく相談しに行ったんです。そのときは「今はスタッフの空きはないけど、サポートできることがあったらするから」という話だったんですけど、その2日後くらいに急きょ空きが出たみたいで。「1月1日からだけど、どうする?」と言われて、「お願いします」という流れになりました。さすがに「そんなにアッサリ決めちゃっていいの?」って言われましたけどね(笑)。

赤見 そのぶん悩んだ期間が長かったわけですから。それに、必要とされるところで働けるというのは幸せなことですし。

平野 そうですね。僕なんか、馬を扱えるかどうかもわからないド素人みたいなものですけど(苦笑)。

赤見 そんなことないです! あ、でも、元ジョッキーといえば攻め専(調教専門の助手)に転向される方はよく聞きますけど、平野さんは持ち乗り厩務員なんですよね?・・・

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東奈緒美・赤見千尋

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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