空から仲間を見守る 「個性派」2代目ヒシマサル

2018年06月19日(火) 19:30

第二のストーリー

▲気持ちよさそうにあくびをするヒシマサル(写真提供:うらかわ優駿ビレッジAERU)

‟2代目”ヒシマサル

 1992年のきさらぎ賞(G3)、毎日杯(G3)、京都4歳特別(G3)と重賞3勝のヒシマサルが、今年3月6日に老衰のため亡くなった。29歳だった。

 ヒシマサルは1989年2月20日にアメリカで生まれた。父はアメリカの3冠馬でビッグ・レッドという愛称を持つSecretariat、 母はクリームンクリムズン、母父Vaguely Nobleという血統で、1991年春のアメリカのトレーニングセールの出身馬だ。

 日本に輸入された同馬は、ヒシマサルと名付けられ、栗東の佐山優厩舎の管理馬となった。ヒシマサルには初代がいて、今回紹介するヒシマサルは2代目となり、現在は3代目が現役競走馬として活躍中だ。ちなみに初代は2代目ヒシマサルのオーナー阿部雅一郎氏の父の阿部雅信氏が馬主として走らせており、安田記念に優勝している。

 2代目ヒシマサルのデビューは1991年の11月9日。現調教師の角田晃一騎手が手綱を取った新馬戦は2番人気で4着。田島信行騎手に乗り替わった2戦目の新馬戦で勝ち上がった。3戦目の中京3歳S(OP)は角田騎手で3着、年が明けて寒梅賞(500万)では武豊騎手が騎乗して1着、そして再び田島騎手が乗ってきさらぎ賞、毎日杯、京都4歳特別と連勝をしている。だが当時クラシックレースは外国産馬に門戸が開かれていなかったため、残念ながらクラシック参戦は叶わなかった。

 その後もオープンで走り、ニュージーランドT4歳S(G2)、京都大賞典(G2)、ドンカスターS(OP)でそれぞれ2着に入り、ジャパンC(G1・5着)、有馬記念(G1・9着)にも出走したものの、勝ち星を挙げられず、5歳(旧馬齢表記)の11月、前年の有馬記念以来となったトパーズS(OP)で13着に敗れたのを最後に、脚部不安のためにターフに別れを告げた。

 引退後は1994年から種牡馬として供用されていたが、ヒシアマゾンとの間に生まれたヒシアンデスが話題となった以外は地方の重賞勝ち馬を輩出した程度で、これといった産駒に恵まれず、2001年3頭に種付けを行ったのを最後に種牡馬を引退。引退名馬繋養展示事業の助成金を受けながら、浦河町にあるうらかわ優駿ビレッジAERUで功労馬として余生を送り始めた。

 当時AERUには秋の天皇賞(G1)やマイルCS(G1)、安田記念(G1)を勝った名マイラーのニッポーテイオー、14番人気で有馬記念(G1)を制したダイユウサクらのG1ホースが功労馬として過ごしていたが、気性の激しかったヒシマサルは当初は他馬と一緒に放牧できず、1頭のみで放牧地に放たれていたという。2005年にはダービー馬のウイニングチケットが仲間入りし、2010年には朝日杯3歳S(G1)優勝のエルウェーウィンや中山大障害の勝ち馬、ケイティタイガー(この2頭は2011年に白老町のホースガーデンしらおいに移動)が別の牧場からAERUにやって来た。

AERUで出会った仲間

 環境に慣れてきたヒシマサルは徐々に気性が丸くなっていき、やがて功労馬たちと一緒に放牧地で草を食むようになった。

「僕がこちらに来た頃はマサルとウイニングチケットとニッポーテイオーとダイユウサクの4頭が仲良く放牧地にいました」

 と話すのは、2013年からAERUに勤務している乗馬課マネージャーの太田篤志さんだ。

「ただ4頭一緒に放してはいますけど、マサルとチケット、ニッポーとダイユウサクというふうに放牧地では2頭、2頭に分かれていました」

 なるほど馬にも相性があり、ヒシマサルはウイニングチケットとウマが合ったのだろう。

「ニッポーとダイユウサクはヤンチャするタイプではないですが、チケットもちょっかいを出したがる馬なので、マサルと2頭でムクチを噛み合って遊んだりしていました。ちょっかい出されるのを嫌な馬もいますけど、マサルとチケットの2頭は遊んでいましたので仲が良かったのかなと思いますし、そういう意味ではお互いに刺激をし合っていたので、長生きなのかなと思いましたね」

第二のストーリー

▲左がウイニングチケット、右がヒシマサル(写真提供:うらかわ優駿ビレッジAERU)

 ヒシマサルはファンの多い馬でもあった。

「年を取ってくると段々個性的になってきました。別の馬を訪ねてきたり、違う目的でAERUに来た方が、愛嬌たっぷりのマサルを見てファンになったりとか、毎月本州からマサルに会いに来る方もいたんです。チケットはあまり懐っこくはないので、ファンの方が来ても愛想がないのですが、マサルはどんどん近寄っていって甘えてみたりとか、表情がとても豊かで、普段競馬場では見ることのできないような顔をしたりしていました(笑)。年齢を重ねてからは、毛がモコモコになってきてまるでバッファローのようになっていて、他のサラブレッドとは全く違う風貌というのもありましたね」

第二のストーリー

▲モコモコのサラブレットらしからぬ愛嬌のある風貌(写真提供:うらかわ優駿ビレッジAERU)

「G1は勝てませんでしたが、当時マル外でクラシックに出られなくて、もし出走していたら勝てたのではないかと言ってくださる方もいたりとドラマのある馬でもありましたし、現役の3代目ヒシマサルの応援馬券やお守りを贈ってもらったりとファンは多かったと思います」

 そんなヒシマサルも、亡くなる数年前から蹄を痛めたり、体調を崩して放牧に出られない日が出てきた。そのあたりから徐々に体も衰えていたのだろうか。

「亡くなる2日ほど前から立ち上がれなくなってしまって、そのまま寝たきりになってしまいました。馬体の同じ方をずっと下にしておくわけにはいかないですし、1時間おきに体勢を替えるようにしていましたが、馬もかなり頑張ってくれたと思います」

 3月6日の朝方、太田さんをはじめとするスタッフに見守られながら、ヒシマサルはついに29年の生涯を閉じたのだった。

 気になったのは、ヒシマサルという遊び仲間を失ったウイニングチケット(現在28歳)のことだった。

「亡くなる1、2年前くらいから体調崩したり良くなったりを繰り返していましたので、放牧できない期間もあったんですよね。だからチケットが1頭で放牧地にいることもたびたびあったりましたので、いきなりマサルがいなくなったという感じでもなかったですし、チケット自身があまり依存するタイプではないので、精神的に尾を引くということはあまりなかったですね。ヤンチャできる相手がいないという寂しさはあるかもしれないですけど…。他の馬と違う雰囲気を出していた馬でしたので、むしろ僕やスタッフの方が引きずっているかもしれないですね」

 ファンやスタッフなど、本当にたくさんの人に愛されたヒシマサル。天国でも愛嬌たっぷりの表情で過ごしているに違いない。そしてクールなウイニングチケットが、余生を満喫できるよう、見守っていることだろう。

(了)


※文中に登場するウイニングチケットは見学可です。

うらかわ優駿ビレッジAERU
〒057-0171 北海道浦河郡浦河町西舎141-40
TEL 0146-28-2111
URL http://aeru-urakawa.co.jp/
連絡不要 直接訪問可
展示時間 9:00〜17:00

スズカフェニックスもいます。

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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