【宝塚記念回顧】「逃げ馬の宿命や」理想的な入りから2ハロン目で窮地に

2018年06月26日(火) 18:01

小牧太

サイモンラムセスと挑んだ宝塚記念など、採れたてホヤホヤの小牧節をお届け!

宣言通りの逃げで、4コーナーまで並み居る強豪馬を率いたサイモンラムセスですが、直線に入ったところで失速し、初めてのGI挑戦は最下位に終わりました。「馬にとってはいい経験になったと思う」とは小牧騎手。今週の『太論』では、前日のゲート内での落馬の状況も含め、採れたてホヤホヤの小牧節をお届けします!

(取材・文/不破由妃子)


自分のペースで行ければひょっとしたら…久々にワクワクしたわ

──サイモンラムセスで挑んだ宝塚記念は16着。ちょっと厳しい展開になりましたね。

小牧 そうやね。すんなりハナは切れたけど、2ハロン目に絡まれたからね。僕があんまりにも楽に行ったから、警戒されたんだと思うわ。

──でもそこで、「何が何でも譲らないぞ」という小牧さんの強い意志が伝わってきました。

小牧 そこはもうね、逃げで変わってGIまでたどり着いた馬やし、関係者もファンも逃げてほしいと思っていたやろうし。とにかく絶対にハナに行くぞという気持ちで乗ったから。

──最初の1ハロンが12秒2に対して、2ハロン目が10秒8。ここが肝でしたね。

小牧 そうやね。でも、たしかに1ハロン目をあんな楽なペースで行かれたら、ほかの馬はたまらんやろうなと自分でも思った。僕にしてみれば、「あ、こんなペースで行けたら最高やな」と思ったけど、思った途端にこられたからね。それはもう仕方がないこと。逃げ馬の宿命や。まぁ馬にとっては、初めてあんなに強い馬たちと戦って、いい経験になったんじゃないかな。やっぱり強いわ、GIのメンバーは。もちろん、甘くはないと思ってはいたけど。

──どのあたりから手応えがあやしくなったんですか?・・・

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小牧太

1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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