第57回神戸新聞杯を制した伏兵イコピコ 死してなお生き続けるその魂

デイリースポーツ

2017年09月19日(火) 10:00

09年神戸新聞杯を制したイコピコ、四位洋文騎手、桜井吉章調教助手

 09年9月27日。阪神競馬場。第57回神戸新聞杯。同年のダービー2着馬リーチザクラウン皐月賞アンライバルドが人気を集めるなか、トップでゴールを駆け抜けたのは7番人気の伏兵イコピコ。例年、春の実績馬が順当に勝ち上がる傾向が強いこのレースにあって、クラシック不出走馬のレコードVに場内がどよめいた。

 同馬を担当していた桜井吉章調教助手(西園厩舎)が当時を振り返る。「僕がトレセンに入って、初めて担当した馬がイコピコでした。ヘルパーさんから譲り受けて、初めてのレースがプリンシパルS(4着)。次の白百合Sで初勝利をプレゼントとしてくれたのもあの馬です。僕自身はまだ訳が分からずにいたころですが、すごくおとなしい馬だったので、先生も入りたての僕に調教を任せてくれたのだと思います。神戸新聞杯の頃は、普段の調教は僕が乗り、追い切りは酒井Jが乗るパターンでした。すると、最終追い切りを終えた酒井Jが“一発あるぞ”と。それでも相手が相手でしたし、僕は気楽な感じでしたけどね。ただ、あのひと言もあって少し色気は持っていました」。

 そしていざ、トライアルへ。ゲートまで付き添っていたため、レースは移動バスのなかのテレビで見ていた。「プリンシパルSのときが、出遅れながらも最後いい脚で追い込んできました。そういう乗り方が合うと思っていましたが、テン乗りの四位さんがこの馬の持ち味を引き出してくれましたね。完璧でした。リーチザクラウンが引っ張ってくれて、ペースが流れたのも良かったと思います」。

 今は冷静に振り返る桜井だが、聞けばバスのなかでは「めっちゃ吠えていました」と苦笑いする。まだトレセンに入りたてのルーキー。初の重賞Vに興奮するのも当然だ。「そりゃ冷静に見ることなんてできませんよ。今でもそう。この喜びをどう表現したらいいのか…。こればかりは、普段から馬と接している僕らにしか分からないと思います」。見た目はクールだが、熱いハートの持ち主だ。

 神戸新聞杯の勝利で一躍脚光を浴びたイコピコ菊花賞では2番人気の高い支持を受けたが、結果は後方から猛追するも4着まで。G1タイトルにはあと一歩及ばなかった。「僕自身は自分の競馬をしてくれたから満足。あの馬の脚質に合った競馬をして負けたのだから納得しています」。だが、輝きを放ったイコピコの第一章はここで終わりを迎える。この先は右前肢の脚部不安との戦いが長く続くことになる。

 苦難の第2章へ。桜井の口が急に重くなった。「その後は成績が示す通り。レースを使っては休養。その繰り返しでした」。迎えた11年6月の夏至S。後方から追撃を開始したイコピコは、直線半ばでスローダウン。気持ちでゴール入線を果たしたものの、異常事態であることは誰の目にも明らかだった。

 右第1指関節脱臼。この後、愛馬に待ち受けている運命を、若き日の桜井も当然知っていた。「助かるのは無理だと分かっていましたが、命乞いをしました。獣医さんに“何とかなりませんか!”って…。でも皆さん、無言でした」。

 当時の胸中をより深く知りたくて、私は思わず入り込み過ぎた。すると、追い込まれた桜井は「家族と一緒ですよ。今でもつらいです。この話、もういいですか…」と言って声を詰まらせた。あの神戸新聞杯で声を枯らしながら愛馬を応援した熱い男。喪失感は察するに余りある。だが、ひと呼吸置いて、再び思い出話を続けてくれた。それはイコピコが生きていた証しを伝えたいという、彼の感謝の思いからだろう。「短い間でしたが、何もできなかった僕に命懸けでいろんなことを教えてくれました。菊花賞の前売りオッズが1番人気だったとき、自分が調教に乗っていて“もしも落ちたらどうなるんだろう”なんて考えると眠れませんでしたよ。そんな経験、なかなかできませんからね。本当に感謝しているし、あの時の経験を糧にしなければあの馬に申し訳ない。今は担当馬が無事にレースを終え、無事に帰ってきてほしいという思いが一番です」。今でもレースに臨む際は、常に亡き相棒のタテガミとともに戦っている。

 悲しみから数カ月後。桜井のもとに現れたのが、レース前にグルグルと旋回してファンを沸かせたあのハクサンムーンだ。優等生だったというイコピコとは対照的に、とにかくやんちゃで手のかかる馬だった。苦労の絶えない日々が続いたが「“あの時、こうしていれば”という後悔だけはしたくなかった」と心に決め、自分にできる限りの全てを愛馬に注いだ。G1では2着2回と、こちらも頂上にはあと一歩及ばなかったが「あの馬に関しては悔いがありません」と、その表情は実に晴れやかだった。

 取材を終えて、辛い経験を思い起こさせてしまったことを反省したが、桜井から「イコピコのことを取材していただいてありがとうございました」と言われて胸のすく思いがした。桜井自身も「イコピコは“頂上に”って意味なんですよね。僕はまだそこまでは行っていない。さらに上を目指して頑張らないと」と微笑み、気持ちを新たにしていた。

 ビッグネームがズラリと並ぶ神戸新聞杯の歴代勝ち馬にあって、実績に乏しいイコピコの存在感は薄い。だが、彼の命懸けの走りが若きホースマンを奮い立たせ、その熱い思いはハクサンムーンへと注がれた。“頂上に”到達するその日まで-。イコピコの魂は、死してなお生き続ける。(デイリースポーツ・松浦孝司)※敬称略

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