前田長吉と見たダービー

2015年06月06日(土) 12:00


 ダービーデーの5月31日、東京競馬場の競馬博物館で特別展「伝説の騎手 前田長吉の生涯」のトークショーが行われた。出演者は、長吉の兄の孫の前田貞直さんと、私である。

 前日のうちに八戸から東京入りした貞直さん夫妻を、当日の朝、ホテルに迎えに行き、東京競馬場に着いたのは午前10時前だった。

 まっすぐ競馬博物館に行き、貞直さんと特別展を見た。これが貞直さんにとって、ほかの競馬場を含めて初の競馬場訪問であった。

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競馬博物館で6月28日まで開催されている特別展「伝説の騎手 前田長吉の生涯」会場を訪れた前田貞直さん(中央)。

「素晴らしい展示で、嬉しいです」と貞直さん。

 ディスプレイされている長吉の鞭や長靴、鉛チョッキなどは、貞直さんが所有しているものだ。つまり、普段から見なれている品々なのだが、こうして特別につくられた展示台に飾られたそれらを目にすると、感慨深いものがあったようだ。

 貞直さんは、地元紙『デーリー東北』と、青森の県紙『東奥日報』の記者の取材に応じながら、ひとつひとつの遺品を確かめ、パネルの解説文を読んでいく。

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貞直さんを継続的に取材している『デーリー東北』の佐藤周平記者(左端)と、『東奥日報』の藤本耕一郎記者(右端)。

 貞直さんと一緒に展示を見ていたら、「島田さん」と聞き覚えのある声で呼びかけられた。

 声の主は、長吉の甥の中居勝(まさる)さんだった。長吉の4歳下の妹・しげさん(長吉の遺骨が帰郷した3年後の2009年に亡くなった)の長男である。勝さんは、貞直さんから見ると、父の従兄弟なので「いとこおじ」ということになる。

 勝さんは、かつてタクシーの運転手として東京競馬場に出入りし、何人もの騎手や調教師を乗せているうちに競馬ファンになったという人だ。しげさんが体調を崩してから青森のむつ市に越して転職したのだが、毎年必ず、ダービーのときだけ東京競馬場に来て、私と会っている。続柄こそ「いとこおじ」だが、64歳の貞直さんより10歳若い。

 横にいる同年代の女性は誰かなと思っていたら、勝さんの姉の益子(ますこ)ミイさんだった。私が会うのはこれが初めてだった。

 ミイさんによると、しげさんは、長吉が数え年で17歳だった昭和14(1939)年の夏、家出同然に是川の生家を出て行くとき、家の前で長吉とすれ違った。「兄ちゃん、どこ行くの?」と訊くと、長吉は涙を流した……という話をよくしていたという。

 ――うわっ、これ、すごく美味しいエピソードだな。

 と思ったと同時に、

 ――エッ、こんな大切な話を今まで知らなかったなんて……。

 とも思った。

 以前本稿に記したように、今回展示されている長吉直筆の葉書によって、長吉が上京した時期が特定された。また、徴兵検査の結果を示す証書によって、昭和18年のダービーを勝った翌月、長吉が現役兵としては招集されない「丙種」と認定されたため、クリフジの三冠すべてに乗ることができたことなどが明らかになった。

 長吉の遺骨が八戸の生家に「帰郷」したのが2006年7月初めだから、私は足かけ10年にわたって取材しているのだが、それでもこうしていくつもの「新事実」が出てくる。

 スケジュールどおり、午前11時から、競馬博物館に入ってすぐ右の映像ホールで『Gate J.Presents JRA競馬博物館特別展スペシャルトーク』として、貞直さんと私のトークイベントが行われた。

 ――お客さんが20人ぐらいしか来なくて、そのうち半分が知り合いだったらどうしよう……。

 と心配していたのだが、ホールに入って驚いた。ほぼ満席で、230人ほどが集まっていた。

 当初は、特別展示室で、貞直さんと私が遺品の前に立って話す予定だったのだが、広い会場に変えてよかった。特別展示室に入ることができるのは数十人なので、もしそのままだったらかなり混乱していただろう。

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映像ホールで行われたトークイベント。左が筆者、右が前田貞直さん。

 トークイベントでは、まず私が長吉のプロフィール――最年少の20歳3カ月で72年前のダービーを勝ち、翌年出征して満州で終戦を迎えた。旧ソ連に抑留され、強制収容所で終戦の翌年、23歳の若さで亡くなった、といったこと――を説明した。

 次に、貞直さんにとって長吉はどんな存在だったのか、06年初夏に遺骨が帰ってきたときどう思ったか、馬具などの遺品は、いつ、どんなふうに見つかったのか、それらを見たときどう感じたか……といったことを質問し、答えてもらった。

 私としては、集まった人々に、ここで展示されている遺品は、さまざまな事実を後世に伝える素晴らしいものだということを知ってもらいたかった。そして、戦後70年の節目に、戦争で命を奪われた若い才能に、ともに思いを馳せることができれば素晴らしいな、と思っていた。

 それはそうと、貞直さんが競馬場に来たのはこれが初めてで、一度も馬券を買ったことがない……というネタが意外なほどウケていた。

 今年のダービーの「長吉馬券」か「クリフジ馬券」がないかと考えてみたのだが、クリフジがダービーを勝ったときの馬番が「10」だったから、それはどうか……といった話もした(貞直さんも私も、10番のミュゼエイリアンの馬券を買った。逃げて見せ場をつくったが、馬番と同じ10着だった)。

 イベントは20分ほどで終わり、もう一度展示を見てから、メモリアルスタンドでレースを観戦した。

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スタンドからレースを観戦する前田貞直さん。隣は夫人のツヱ子さん。

 緑のターフを駆けるサラブレッドを見た貞直さんの目には涙があった。

「もし長吉が23歳で死なず、そのまま騎手をつづけていればと思うと、切なくなってしまいました」

 そう話した貞直さんは、長吉の遺影を持ってここに来ていた。

 72年前に史上最年少でダービーを勝った若き天才騎手の魂とも言うべき馬具などが、「第二の故郷」である東京競馬場に「帰郷」した。その魂は、親族の胸に抱かれた遺影の目を通じて、のちの時代の競馬を確かに見つめていた――。

 貞直さんと、そして前田長吉の魂とともに見た第82回日本ダービを、ドゥラメンテが圧勝した。

 私は、貞直さんと握手をして別れ、取材をするため検量室前へと向かった。

 夜、無事に八戸に到着したと貞直さんからメールが来た。そこにこう書かれていた。

「ダービー、素晴らしかったです」

 それは、72年前に同じ舞台で頂点に立った彼の大叔父――前田長吉の声だと思っていいだろう。

 本当に、素晴らしいダービーだった。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊競馬ブック、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。netkeiba.com初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第5弾『ファイナルオッズ』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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