トップジョッキーの決断!31歳の若さで調教師へ

2015年08月04日(火) 18:00

尾島徹調教師

セレクションセールでも意欲的に挨拶回りをしていた尾島徹調教師


尾島徹調教師「(笠松は)中央馬にも対抗できるような名馬を生み出してきましたから、僕もその流れを継ぎたいですね」

 笠松のトップジョッキーとして君臨して来た尾島徹騎手が、31歳という若さで騎手を引退し調教師へと転身しました。なぜこのタイミングでの引退を選んだのか、じっくりとお話をお聞きしました。

赤見:7月31日をもって騎手を引退しましたけれども、どんなお気持ちでした?

尾島:引退式は泣くかなって思ったんですけど、意外に平気でした。競馬場から離れるわけではないですし。ただ、まだ実感がないだけで、笠松のレースを見たら乗りたくなるのかもしれないですけど。引退したら死ぬほどジュースを飲んでやろうと思っていたし、食べたい物を思いっきり食べようと思っていたので、食べまくりました。何年も何年も我慢して来たことが爆発して、飲んで食べて飲んで食べて(笑)。何も気にせず食べられるって、ものすごく幸せだなって思いましたね。でも実際に食べてみると、そんなに美味しくなかったですけど(笑)。

赤見:体重調整は長年苦労されていましたね。

尾島:そうですね。デビューした頃は全然大丈夫だったんですけど、年齢を重ねるごとにどんどん重くなってしまって、初めてリーディングを獲った頃(2009年)にはけっこうしんどくなっていました。

赤見:どんな風に減量していたんですか?

尾島:基本的には毎日の食生活に気を付けて、それでも57キロとか58キロになってしまうので、レースが始まる2日前からサウナに入って減量してました。2日間で6キロくらい落とすんです。最初の3キロはすぐ落ちるし、そこから4キロ、5キロというところまでは落とせるんですけど、最後の1キロを落とすのが本当に辛くて…。水もほとんど飲めないし、落ちる要素がないんですよね。ひたすらサウナに入って、西野カナのDVD見てました(笑)。

赤見:西野カナさんのファンなんですね。

尾島:西野カナのお蔭で引退がここまで伸ばせたんだと思ってます。サウナに入り続けるのは精神的にキツイですから。レースの2日前から減量して、開催中は夜少しつまむくらいなので、減量に関しては本当にしんどかったです。減量苦がなければ、もっと長く騎手をやっていましたし、僕にとっては本当に大きいことですね。

尾島徹調教師

仲良しの佐藤友則騎手(左)と尾島徹調教師

赤見:このタイミングで騎手を引退しようと決断したのは?

尾島:2年前くらいから体重が落ちなくなっていて、肉体的にも精神的にもキツイなと…。54キロの馬に乗った時、減量がキツくてフラフラで、自分の乗り方ができてないなって感じたことがあって。それを周りに気づかれたら終わりじゃないですか。ファンの方の大切なお金を賭けてもらっているし、馬主さんにも関係者にも失礼なので。それで、そろそろ潮時なんだなって思いました。いつか調教師になりたいという夢は持っていましたから、次の道に進もうと。それに、若いうちなら人に頭を下げやすいというか、「わからないんで教えて下さい」って頭下げても恥ずかしくないじゃないですか。自分にとっては、いい時期に次に進めたんじゃないかって思います。

赤見:これまでトップジョッキーだったのに、一夜にして一番下っ端になるわけじゃないですか。その辺りの戸惑いはありました?

尾島:それはないですね。だってもともと、調教師の先生たちには「お願いします! 乗せて下さい」って頭を下げて来た立場なので、その辺りは全然変わらないです。本当にわからないことだらけなので、今はいろいろな方に質問しまくってます。

赤見:7月14日に調教師免許試験の合格発表があって、31日に騎手を引退、8月1日付けで調教師として開業と、怒涛の展開ですね。

尾島:かなり怒涛ですね。わかっていたこととはいえ、本当に目まぐるしく時間が過ぎて行きました。7月の前半の開催は騎乗を休ませてもらって、いろいろな場所に見学に行っていたんです。美浦トレセン、ノーザンファームしがらき、ノーザンファーム天栄、大山ヒルズ、いろいろ見させてもらってすごく勉強になりました。僕はずっと馬に乗っていたので、下りて触ることがないじゃないですか。だから、もっともっと勉強して知識を広げていかないとと思っています。

赤見:1日に開業して、今日で4日目です。実感はわきましたか?

尾島:そうですね。今8馬房もらってて、7頭入厩しているのでだいぶ実感してきました。もう1頭も近々入厩する予定です。スタッフも2人来てくれて、一人はライデンリーダーの担当だったやり手の厩務員さん、もう一人は若い子で馬に乗れるので、いいスタッフが来てくれて本当に良かったです。ひとまず厩舎の態勢は整いました。でも、もっともっと馬を集めないと。甘く考えていたわけじゃないですけど、やっぱり厳しいですね。挨拶回りに行くと、「笠松じゃな〜…」って言われます。開催も少ないし、賞金や諸手当も少ないですから、そう言われるのは仕方ないかなと。ただ、その中で預けていただいた馬は、全力で育てます。笠松はこれまで、オグリキャップ、オグリローマン、ライデンリーダー、レジェンドハンター、ラブミーチャンと、中央馬にも対抗できるような名馬を生み出してきましたから、僕もその流れを継ぎたいですね。

尾島徹調教師

騎手引退式で仲間やお子さんと記念撮影する尾島徹調教師

赤見:では、ファンの方へメッセージをお願いします。

尾島:これまで騎手として応援してくれた皆さま、本当にありがとうございました。周りの方々に恵まれて、とても幸せな15年でした。これからは調教師として頑張って行きますので、笠松競馬、尾島厩舎を応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします!

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常石勝義

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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