地方競馬の異端児!金沢・吉原寛人の功績

2015年11月24日(火) 18:00

吉原寛人騎手

吉原寛人騎手(写真は2015年マーキュリーカップ優勝時)


吉原寛人騎手「最初に乗り替わりだって言われた時には、本当に悔しくて悔しくて…」

赤見:吉原騎手は9月10日、名古屋の秋桜賞を勝った瞬間に落馬して大ケガを負いましたけれども、あの時の様子から教えていただけますか?

吉原:騎乗していたケンブリッジナイスはずっとチャンスをいただいていたのに2着ばかりでなかなか勝てなくて。あの時、「やっと勝てた!」って思った瞬間、落馬したんです。滑りやすい馬場だったので、ガッツポーズする余裕もなくて構えていたんですけど、スコーンと行ってしまいました。まず、馬が無事だったことは良かったです。僕はゴール板のところでしばらく倒れていたんですけど、意識があって最悪でした…。

赤見:顔面と背骨の骨折でしたよね?

吉原:そうです。鼻の骨折と背骨の圧迫骨折でした。意識はあって、ものすごく痛くて。息は出来ないし、「いってぇ〜」って思ってました。僕、実は骨折が初めてだったんですよ。大きいケガをしたのが初めてで、1か月半も休んだのも初めてで。体的にもそうですけど、メンタル的にもキツかったですね。

赤見:具体的にはどんな感じでしたか?

吉原:復帰までの持って行き方がわからなかったんです。ケガして体は痛いし、気持ちは落ち込むし、そこからどう上がって行けばいいのかわからなくて…。最初は競馬を見たくなかったし、体も動かせないのでただただ療養するしかなくて、かなり焦りました。体に後遺症を残したくないので、時間を掛けてゆっくりという気持ちと、11月3日のJBCと4日のソルテ(マイルグランプリ)にはどうしても乗りたいという気持ちとで揺れてました。最終的には急ピッチで復帰を決めて、JBCとソルテに乗せて頂いたんですけど、特にソルテは圧倒的な1番人気でしたから、僕のせいで負けることは許されないと思っていました。

赤見:結果は完勝でしたね!

吉原:強いですよね。現状、マイルでは地方勢には敵なしですから。こういう馬がいると本当にやりがいがあるし楽しいです。ケガして沈んでいた気持ちも上げてくれて、「早く復帰したい」と思わせてくれた馬ですから。

ソルテ

復帰後のマイルグランプリをソルテで制した吉原寛人騎手(撮影:高橋 正和)

赤見:ソルテはなかなか勝ち切れないというイメージが強かったですが、今年に入って5連勝!完全に覚醒しましたね。

吉原:「きっかけがあれば化けるな」とずっと思っていたんです。ハッピースプリントの追い切りで大井に行った時に、ソルテの追い切りにも乗せてもらっていたんですけど、「どうにか変わって来ないかな」と思っていて。普段調教をしてくれている上田くん(健人騎手)と厩務員さんが試行錯誤しながら、調教から新しく変えてくれて、そこから馬がガラっと変わりました。ソルテに出会えたことは本当に運が良かったですし、馬にも周りのみなさんにも感謝しています。

赤見:ハッピースプリントの名前が出ましたけれども、東京ダービーを勝ち、その後は地方代表としてダートグレードで戦って来ましたが、今年の春から別のジョッキーが騎乗することになりました。相当悔しかったのでは?

吉原:そうですね。かなり悔しかったです。ハッピーにはダービーを勝たせてもらって、ものすごくいい想いをさせてもらって。その後はジャパンダートダービーで2着に負けて、古馬と混じって負けて。結果を出すことが出来ずにクビになって、厳しい面も教えてくれました。最初に乗り替わりだって言われた時には、本当に悔しくて悔しくて…。でも結果を出せなかったのは自分だし、冷静になってみると、他の人が乗るハッピーを見ることが勉強だなと思いました。あれだけの馬ですから、僕だけじゃなくいろいろな人たちの想いを背負っているんです。そういうたくさんの人たちの想いを実感させてくれた馬ですね。

吉原寛人騎手

ハッピースプリントの乗り替わりは「本当に悔しくて悔しくて…」と語った吉原寛人騎手(写真は2014年東京ダービー優勝時)

赤見:乗り替わりは悔しかったと思いますが、南関東所属ではない騎手が、初めて東京ダービーを勝ちました。さらに、吉原騎手がジャパンダートダービーでハッピースプリントに騎乗できるように、新しくルール変更も行われました。これは大変大きな功績です。

吉原:本当にそうですね。まずは頑張って走ってくれたハッピー、そして僕を乗せてくれた関係者の方々に感謝しています僕の所属する金沢にはダービーがないんですよ。だから、「ダービージョッキーになる」という夢はずっと持てずにいたんです。でも、先輩方の活躍のお蔭で、他地区でも騎乗できる『期間限定騎乗』制度ができたし、さらに、『地方重賞は全国どこの騎手でもスポット騎乗が可能』というルールになりました。そのお蔭で僕はハッピースプリントに乗ることができたので、これまでのルールを打ち破ってくれた先輩方に本当に感謝しています。僕も、『ダートグレードでもスポット騎乗が可能』という新しいルールを作るきっかけになれたことは嬉しいですね。ただ、そうなってから乗り替わりになってしまったので、新ルールに恥じないよう、これからも精進していきたいです。(*騎手の騎乗制限に関しては、各主催者ごとに若干ルールが異なります)

赤見:現在吉原騎手は、所属は金沢ですけれども、全国の重賞競走にスポット騎乗していますよね。地方競馬の新しい形を作っていると思います。

吉原:最初は地元と他地区とどっちつかずで、かなり悩んだ時期もありました。地方は人手が足りないですから、毎朝20頭くらい調教をしてレースに乗って行くのが基本です。でもスポット騎乗すると、その日は調教ができなくなる。最初は他の人に調教を頼んで遠征に行っていたんですけど、もともと人が足りないところに僕が何日もいなくなるわけですから、周りにとても負担が掛かってしまって…。それまでは、金沢リーディングにも固執していたんですけど、このままではどっちも中途半端になってしまうと思って、地元のリーディングは諦めることにしました。

赤見:かなり大きな決断ですね。

吉原:そうですね。僕は金沢に育ててもらって、金沢リーディングという看板があったからこそ、他所からも声を掛けてもらって騎乗馬が増えたんです。だから、地元の方々に恩返ししたいという気持ちも強かったので、リーディングを諦めるのはかなり大きな決断でした。でも今は、毎年南関東期間限定騎乗で2か月乗せていただいて、他の日程も重賞のあるところに呼んでもらえるようになりました。地元の順位は下がってしまったけれど、『金沢の吉原』として全国で騎乗できることは、地元の方にも少しは恩返しできているかなと思っています。もちろん地元でもまったく乗っていないわけではないですし、全国で戦わせてもらっている分、負けられないという気持ちも強いです。最近金沢は若手が元気なので、いい刺激になりますね。僕もまだまだ負けてられないですよ。

吉原寛人騎手

「全国で戦わせてもらっている分、負けられないという気持ちも強いです」と語る吉原寛人騎手

赤見:南関東期間限定騎乗では、2月までリーディング1位でした。「このまま南関東にいられれば…」と思うことはないですか?

吉原:リーディング1位はもう意地ですね。もちろん、「このままいたい」という気持ちがないと言ったら嘘になるけれど、今のルールではそれはできないことですから。できないことを「こうなったらいいな」と願うよりも、目の前にあること、できることを一つ一つ真剣に取り組む方が大事だと思っています。僕がもっともっと活躍して、地方の壁を壊していけるような存在になりたいですね。

赤見:今後の目標を教えて下さい。

吉原:一番は、ダートグレードを勝ちたいです。今年はユーロビートでマーキュリーカップを勝たせていただきましたが、あのレースはこれまでいろいろな場所でいろいろな馬に乗せてもらってきたからこそ出来たレースなんです。だから、これからもそういう経験をたくさん積んで、大一番でも思い切った騎乗が出来るようにしたいです。ゆくゆくはJpnI、GIを勝ちたいですね。そのために日々努力していきます!

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常石勝義

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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