ディープの母ウインドインハーヘア 母のいない仔馬の母親役に/動画

2015年12月22日(火) 18:01

第二のストーリー

▲三冠馬ディープインパクトの母の知られざる感動秘話とは(撮影:下野雄規)

(前回のつづき)

アイルランドで生まれ、イギリスで調教

 ブランディス、フォゲッタブル、アロンダイトの順番で写真や動画を撮影し、最後に登場したのが、あの三冠馬ディープインパクトの母・ウインドインハーヘアだった。現役時代の馬体重が538kgから568kgのアロンダイトが超大型だったこともあるが、彼女は体高も低くてひと際小ぢんまりと映る。その姿を目の前にして、ふとある記憶が蘇ってきた。

 今から約10年前のこと。菊花賞を優勝して三冠を達成して間もない時期に、栗東の池江泰郎厩舎でディープインパクトを取材した時の記憶だ。馬房からちょこんと顔を覗かせたディープは、本当に小ぢんまりしていて、偉大な馬に失礼だが、威厳はまるで感じられず、ただ愛らしかったのを覚えている。

 その母からも、威厳よりもむしろふんわりとした柔らかさと優しさと愛らしさが漂っていた。ヤンチャなフォゲッタブルや真っ黒なアロンダイトを見た直後だから余計なのかもしれないが、同じサラブレッドなのに、母となった経験のある馬とそうではない馬とはこんなにも雰囲気が違うものなのと、撮影を忘れてしばし見入ってしまった。

第二のストーリー

▲偉大な繁殖牝馬には、柔らかさと優しさと愛らしさが漂っていた

 ウインドインハーヘアは現在24歳、年が明けると25歳になる。父Alzao、母Burghclereという血統を持つ同馬は、1991年2月20日にアイルランドで生まれた。イギリスで調教された同馬は、3歳時にイギリスオークス(GI)で2着となり、4歳の8月にはドイツのアラルポカルというGIレースに優勝している。実はこの年の春にアラジと交配されていて、アラルポカルには身重で出走して、しかも勝ったのだから驚きだ。その勝利から10日後のヨークシャーオークス3着が、ウインドインハーヘアの最後のレースとなった。

 翌年の1996年、アラジの子・グリントインハーアイ(牝)をアメリカで出産。1997年にはヴェイルオブアヴァロン(牝・父サンダーガルチ)、そして1998年にはSeeking the Goldとの間に、女の子が生まれた。のちに日本に輸入されたその馬はレディブロンドと名付けられ、美浦・藤沢和雄厩舎の管理馬となった。

 体質の弱さからデビューは5歳夏と遅かったが、初陣で1000万下のTVh杯でいきなり優勝すると、準オープンのセプテンバーSまで5連勝を達成。5戦負け知らずで挑んだスプリンターズS(GI・2003年)では残念ながら4着と敗れたものの、その能力の高さは十分に示した。レディブロンドは、2009年に惜しくも亡くなっているが、帝王賞(交流GI・2012年)を含めて重賞4勝のゴルトブリッツ(牡)や、4勝を挙げてオープンクラスでも走っていたラドラーダを出すなど繁殖牝馬としても優秀であった。

 一方、1999年にアイルランドでWoodmanの牝馬(スターズインハーアイズ)を出産したウインドインハーヘアは、デインヒルの子(ライクザウインド・牝)を宿して来日。早来町(現・安平町)のノーザンファームで繫養されることとなった。

 2001年にサンデーサイレンスとの間に生まれたブラックタイド(牡)は、金子真人氏(のちに金子真人ホールディングス)の所有馬として池江泰郎厩舎からデビューし、2004年スプリングS(GII)に優勝するなど22戦3勝2着4回の成績を残して種牡馬入り。今年の菊花賞馬キタサンブラック(牡)らを輩出している。

 2002年にはブラックタイドの全弟が誕生。その馬こそが、三冠馬ディープインパクトだ。

 兄ブラックタイドと同じオーナー、同じ厩舎の管理馬として、史上6頭目のクラシック三冠達成(2005年)のみならず、天皇賞・春、宝塚記念、ジャパンC(すべて2006年)のGIレースを次々と制覇し、フランスの凱旋門賞(2006年)では禁止薬物が検出されて失格になったものの、3着入線を果たしている。2006年の有馬記念(GI)で有終の美を飾り、現在は母の暮らすノーザンホースパークからほど近い安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬生活を送っている。

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▲三冠達成直後のディープインパクト(撮影:下野雄規)

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▲ディープインパクトの引退式、感極まる主戦の武豊騎手(撮影:下野雄規)

 ディープインパクト産駒は、ここに記すまでもなく初年度から驚異的な活躍を示し、ディープブリランテ、キズナと既に2頭のダービー馬を輩出しているほか、今年もその勢いは衰えず、オークス、秋華賞と2冠を制したミッキークイーン、ジャパンCに優勝したショウナンパンドラや、エリザベス女王杯勝ちのマリアライトなどGI優勝馬が続出している。

母馬のいない仔馬の母親役に

 ディープインパクトを頂点として数々の活躍馬を産んだウインドインハーヘアは 2012年に出産した父キングカメハメハの牝馬レスペランスを最後に繁殖を引退し、ノーザンファームで余生を送っていた。そんな折、ノーザンファームに「母馬のいない仔馬のお母さんを探している」という相談が、ノーザンホースパークから寄せられた。その仔馬の母親役に白羽の矢が立ったのが、ウインドインハーヘアだった。

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▲ウインドインハーヘアに、母親役の白羽の矢が立った

「仔馬だけで育てると、馬社会のルールがわからないまま育ってしまうんですよね。それでノーザンファームに相談したら、ウインドインハーヘアが良いのではないかと。こちらとしては、ディープのお母さんが来るの? と、ビックリしました」

 と話すのは、ノーザンホースパークの乗馬営業課・観光乗馬部門統括の太田和明さんだ。

 ウインドインハーヘアに託された仔馬は、半血種(温血種と冷血種の雑種)のラッセルだ。

「初日はウインドと仔馬、2頭ともに警戒をしていました。ラッセルも遠慮しがちな性格だったので、初めは隅の方にいたのですけど、何日か経つと一緒に草を食べるようになっていました。同じ馬房に入れても、喧嘩することも全くありませんでしたね」(太田さん)

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▲本当の親子のようなラッセルとウインドインハーヘア(上下写真提供:ノーザンホースパーク)

第二のストーリー

 ウインドはラッセルに惜しみなく愛情を注ぎ、ラッセルはウインドを母と慕うようになっていた。2頭が顔を寄せ合う写真を見せてもらったのだが、ウインドの表情が慈愛に満ちた母そのもので、眺めているだけで幸せな気持ちになる。

「同時期にほかに5組の親子がいたのですけど、その5組のお母さんたちは離乳の時もさほど鳴かなかったんですよ。でもウインドは違いましたね。鳴いていましたし、バタバタバタバタと暴れました。離されて、遠くから聞こえる仔馬の声にも、反応していました」(太田さん)

 ウインドとラッセルが過ごしたのは短い時間だったが、2頭の間には血の繋がった親子以上に強い絆が築かれていたようだ。

 ラッセルの子育てが終わってからも、ウインドはそのままノーザンホースパークで繫養されている。

「ノーザンファームのスタッフからは、元気が良くてヤンチャな面があると聞かされていたのですけど、こちらに来てからは全くそういう面は見せていません。この時期(取材したのは11月半ば)は、朝8時から12時くらいまで放牧されています。若い乗馬用の馬やポニーなどと一緒に放牧しているのですけど、皆と仲良くしています。いつも一緒に放牧されている仲間が1頭でも見当たらないと、『あの子がいないよ』と鳴いたりしていますからね」(太田さん)

 仲間たちに目配りするだけではなく、観光客への気配りも忘れていない。

「パドックに表示しているプロフィールを見たお客さまたちが『ディープインパクトのお母さんだ!』という感じで、よく写真撮影をされているのですけど、ウインドは自分からお客さまに寄って行って、ファンサービスをしていますよ」

 繁殖牝馬として十分過ぎるほど偉大なのに、さらにここまで素晴らしいとは…。目の前に静かに佇む小柄なその馬に、改めて畏敬の念を抱いたのだった。

 今週末に行われるグランプリ有馬記念には、ウインドインハーヘアがこの世に送りだしたディープインパクトとブラックタイドの産駒たちも出走を予定している。このレースで引退が決まっているゴールドシップの走りと併せて、ディープ&ブラックタイド産駒のレース振りにも注目が集まりそうだ。そして中山競馬場が大歓声に包まれるその日も、北の大地の冷たい風に吹かれながら、ウインドインハーヘアは仲間たちと穏やかに静かな時間を過ごしていることだろう。(了)

(取材・文:佐々木祥恵、写真:ノーザンホースパーク、下野雄規、佐々木祥恵)


※ウインドインハーヘアは見学可です。

ノーザンホースパーク
〒059-1361
北海道苫小牧市美沢114-7
電話 0144-58-2116

開園時間
夏(4/23〜10/31) 9:00〜18:00(10月は9:00〜17:00)
冬(11/1〜4/22)10:00〜16:00
入園料:大人500円(冬季は無料です)
新千歳空港から無料シャトルバス有り

公式HP http://www.northern-horsepark.co.jp/

参考文献『ありがとう、ディープインパクト 最強馬伝説完結』島田明宏著 廣済堂出版


【更新スケジュールのお知らせ】

いつも当コラムをご愛読いただきありがとうございます。年内の更新は今回が最後となり、年明けの初回は1/12(火)を予定しています。

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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