“牝馬はなぜ強くなったのか?”を語ろう!/ウオッカ編【角居勝彦×鈴木淑子】

2016年05月11日(水) 12:02

前回、取り上げた97年の天皇賞馬・エアグルーヴから10年、64年振りに牝馬で日本ダービーを制したウオッカ。自他ともに認める“牝馬好き”鈴木淑子が、同馬を管理した角居勝彦調教師を直撃。角居師が考える「牝馬躍進の要因」に迫った。

構成:中山靖大

対談

真夏なみの暑さが、64年振りの快挙の要因!?

鈴木淑子(以下:淑子) 「牝馬がなぜ強くなったのか」を考える上で、64年振りの牝馬のダービー馬であるウオッカを取り上げないわけにはいきません。まさに歴史的なダービーとなりましたが、一生に一度の大舞台、牡馬を相手に、彼女はなぜ鮮やかな勝利を飾れたのでしょうか。

角居勝彦(以下:角居) 理由のひとつに、天候面の助けはあったかもしれません。あの日はとても暑くて、牡馬はダラダラと汗をかいて、どの馬もちょっと元気なさそうに見えたのですが、ウオッカはそんなこともなく、むしろやる気に満ちていましたから。

ウオッカ

▼上り3ハロンは33秒0。豪快な末脚で牡馬を従えた(撮影:下野雄規)

淑子 パドックでもウオッカは、胸をはって、一番堂々としているように見えました。それにしても、2007年の5月27日は最高気温が30度近く、まさに夏日でしたものね。「夏は牝馬を買え」という競馬の格言がありますものね。でも、それだけではありませんよね。

角居 あとは、あの日の馬場が硬めだったので、彼女の切れ味がじゅうぶんに生きる馬場状態だったということも挙げられますね。お母さん譲りのスプリント能力を、どんな距離でも発揮できるのが彼女の武器でしたから。

淑子 本当に素晴らしい末脚を持った馬でしたが、ほかに、ウオッカが牡馬をしのぐ活躍をみせた要因にはどんなところが挙げられますか?

ウオッカ

▼「本当に勝気な馬だった」と角居師は当時を振り返る(撮影:下野雄規)

角居 気の強さですね。本当に勝ち気な馬で、調教でハードワークをしたあとでもヤンチャをしたり、担当の厩務員は何度も蹴られたりで大変だったみたいです。でも、牡馬を相手にあれだけ激しいレースを繰り広げて、しかも結果を出せるというのは、そういう負けん気の強さがないと難しいでしょうね。

淑子 エアグルーヴについて笹田調教師にお話をうかがったときも、精神力を「強い牝馬の条件」に挙げられていました。

角居 私も、活躍する牝馬というのは、どの馬も精神的に強いと思います。レースはもちろん、追い切りでもほかの馬以上に走るぶん、必ずどこか痛いところが出てきていると思うんですよ。それでも強いメンタルでカバーして、結果を出す。

牝馬には「心を壊さない」調教が大事

淑子 ひょっとすると、もともと精神力という意味では、牡馬よりも牝馬のほうが優れているということはありませんか。

角居 そうですね、たとえば敗戦からの立ち直りも、牝馬のほうが早いように思います。男馬だと「こいつには敵わない」と思ってしまうと、もう二度と抜かそうとしなかったりしますけれど、牝馬だと意外とケロッとしていたりしますね。

淑子 やっぱり! でも牝馬といえば、繊細な面もありますよね。

角居 ええ、心を壊さないようにしなくてはいけません。

淑子 「心を壊さない」と、いいますと。

角居 牝馬は神経質だったり、気持ちが切れやすかったりするので、具体的にはオーバーワークにならないように、ということですね。オーバーワークになるくらいだったら、足りないくらいでも良い、という気持ちでいることが大事だと思います。

淑子 走ることが嫌いになってしまい、持っている能力をじゅうぶんに発揮できなくなってしまった牝馬たちを、何頭も見てきました。

角居調教師

角居 心を壊さないためには、ローテーションも大事になってきます。レースの間隔をあけて、本来なら使えるレースでも我慢するような。ウオッカも、ダービー後はメンタル面で調子を崩してしまい、なかなか本来の力が出せずに苦労しました。「彼女はダービー馬なのに……」という思いから苦しい時期もありましたが、オーナーがご理解くださって、元のリズムに戻せるタイミングまで待っていただけたこともあり、最初のヴィクトリアマイルの頃(08年)に、ようやく本当の彼女に戻ってきたんです。

施設・技術の進歩で個性に合わせた調教ができるように

淑子 お話をうかがっていてあらためて思うのは、強さと弱さが同居しているのが牝馬だということです。そんな彼女たちが、ウオッカはもちろん、昨年のチャンピオンCを勝ったサンビスタなど、いま、かつてないほど活躍していますよね。その理由を、先生はどう考えていらっしゃいますか。

角居 施設の進歩と、牝馬を扱うノウハウが溜まってきたことで、メンタル的に負荷をかけながらも「牝馬の心を壊さない」調教ができるようになったことは大きいでしょうね。坂路やプールなどの調教施設をうまく組み合わせたり、常歩運動を長くしてみたり。

淑子 関わる人間の、技術力の向上ということですね。そう考えるとエアグルーヴの時代というのは、まだまだ皆さん手探りだったのかも知れませんね。

角居 エアグルーヴが天皇賞を勝ったときには「こんな時代になったんだ」という驚きがありましたね。当時は施設や環境もいまほど整っていない時代ですから、本当に厩舎スタッフ一丸でというか、マンパワーが大きかったように思います。伊藤雄二先生や笹田先生が苦労されたというお話も、よく聞きました。

淑子 笹田先生もおっしゃっていたのですが、当時の苦労話がノウハウとして、ホースマンの間に伝わっていったのですね。

角居 いい牝馬をつくるのは大変だな……と。その反面、やりがいも感じました。

淑子 調教施設や調教技術の進歩のほかに、牝馬が活躍するようになった要因はありますでしょうか。

生産・育成・厩舎と一貫した管理でクセや飼料も共有

角居 ちょうどウオッカのあたりから、生産・育成が完全に一体化したことも挙げられるでしょうね。その馬のクセや飼料管理といったところまで、生産牧場から育成牧場、そしてトレーニングセンターと、それぞれに移行する際に連携して情報共有がなされるようになったので、継続した管理ができるようになったのです。一貫した環境を用意してあげることで、繊細な牝馬でも、より本来の力を発揮できるようになったと思います。

鈴木淑子

淑子 厩舎側でも「こんな牝馬が入ってくるよ」という情報があれば、接しやすいですものね。育成牧場ということでは、ずっと厩舎にいるのではなくて、短期放牧してリフレッシュできるようになったのも大きいのではないでしょうか。

角居 そうですね。ウオッカはずっと厩舎にいたのですが、同時期にいたディアデラノビアは、厩舎でずっと過ごすと気持ちがしぼんでしまうタイプだったんです。だからレースが終わったら、短期放牧に出してのんびりさせて、いざ厩舎に戻ってきたら短いスパンでレースに使って、その後はまた短期放牧……というサイクルでした。

淑子 彼女たちの個性に合わせた調整が選べる時代になった、ということですね。最後にうかがいたいのですが、ウオッカは500キロ近くある、牝馬離れした雄大な馬体も魅力でしたが、男馬と女馬というのは、肉体的にどのようなところが違うものなのでしょうか。

角居 筋肉の量は圧倒的に違うでしょうね。そういう意味では、いまの日本の芝は非常に軽く、他国と比べると高速といってもよい芝馬場なので、牝馬が活躍しやすいコース形態だと思います。たとえばヨーロッパの重たい馬場をこなすためには、相当なトレーニングと、それに応じた筋肉量が必要になりますが、ふつうの牝馬の筋肉量では、少し物足りないと思います。その点、日本は筋肉の瞬発力でこなしていけるコースが多いので、筋肉量の差を埋めやすいのかなと感じます。

淑子 牝馬が活躍できるようになった理由には、調教施設や調教技術の進歩、生産・育成の一体化、そして日本の芝の独自の進歩ということが挙げられるのですね。今回でまた一歩、牝馬躍進の秘密に迫れたような気がします。ありがとうございました。

対談2

【淑子のひとこと】

エアグルーヴの天皇賞から10年経ち、ウオッカがダービーを制する07年には、調教施設や育成牧場などの環境面が大きく進歩していました。ですが64年振りの快挙を支えた一番大きなものは「心を壊さない」という繊細な心掛けだったのではないでしょうか。そういう意味では、エアグルーヴの時代から伝わるものがあったと思います。次回は昨年のジャパンCを勝ったショウナンパンドラの高野友和調教師にお話をうかがいます。ウオッカからさらに8年、どんなお話になるのか、ぜひご期待ください。

※編集部よりお知らせ※
「“牝馬はなぜ強くなったのか?”を語ろう!」の更新スケジュールは下記のようになっております。ぜひ、お見逃しなく!
【5月12日(木)12時更新】高野友和調教師編/ショウナンパンドラ

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