【中央移籍から3年半】岡田祥嗣騎手(3)『福山競馬への感謝“これまでの自分の全てです”』

2016年09月19日(月) 12:01

おじゃ馬します!

▲JRAへの移籍を目指している時に決まった、地元福山競馬の廃止。今改めて、福山への思いを語ります

高校を卒業後、1991年に念願の騎手デビューを果たした岡田騎手。初めは順風満帆ではなかったと言いますが、デビューから約10年でトップへと登りつめます。頂点に立って初めて見えた景色。その時、自身の中に変化が起きたと言います。さらなるチャレンジでJRAへの移籍を決意しますが、時を同じくして地元福山競馬の廃止が決定。自身の夢を追いかけつつ、地元への思いも募る日々。今改めて、福山への思いを語ります。(取材:東奈緒美)


(前回のつづき)

福山最後の1か月は毎週地元へ帰っていた

 1991年に騎手デビューされましたが、デビュー当時はどんな思い出がありますか?

岡田 最初は怪我が多かったですね。そんな始まり方でした。骨折とかそこまで大きな怪我ではなかったですが、調子が良くなると怪我をする感じだったので。減量もきつい方でしたし、マイナスとまでは言わないですが、最初から順調にという感じではなかったです。

 福山競馬場って1周が1000mなんですよね? それだけ小回りだと、乗るのが難しいのかなと思うのですが。

岡田 招待レースで他場から来る人は、「コーナーがきついから怖い」と言ってましたね。僕ら福山の人間はそれが当たり前だったので、何の抵抗もなく乗っていましたけど、それこそ当時はJRAとの交流もあったので、「トレセンの角馬場みたいやな」って言われたりして。当時は師弟関係が厳しい時代でしたからね。「聞かず悟れ」って、自分で見て覚えていく感じでした。そうは言っても、一を言われて十はなかなかわからないので、よく怒られましたね。というか、怒られた思い出ばかりです(苦笑)。

 特に厳しかった思い出はありますか?

岡田 ん〜、いっぱいあり過ぎて…。厩舎作業も多かったですし、競馬が休みの日には牧場に行って乗りつけをしていました。じゃあそれで競馬でも乗れるかといったら、そういうわけでもなかったですしね。あの頃の新人はそれが当たり前で、「自分はまだ一人前のジョッキーじゃないんだ」って自分に言い聞かせて、奮い立たせていました。

 そういう環境の中で「いつかはトップに立ってやる」という思いにもなったのかなと思うのですが、当時目指していた方というと?

岡田 嬉勝則さんですね。今は高知で乗られているんですけど、福山時代からすごく可愛がってもらって。僕の前は嬉さんがリーディングだったんです。ずっと目標にしていましたし、「いつか自分がその座を奪うんだ」って、ガツガツしていました。

 ガツガツ!? 今の雰囲気だと大人の余裕という感じで、想像がつかないです…。・・・

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東奈緒美・赤見千尋

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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