愛でディープ産駒のサクソンウォリアーがデビュー勝ち

2017年08月30日(水) 12:00


◆ラスト1Fの切れ味は、父を彷彿とさせるものであった

 27日(日曜日)、アイルランドのカラ競馬場で行われた開催の第一競走に組まれていた2歳メイドンで、サクソンウォリアー(牡2)という名の日本産ディープインパクト産駒がデビュー勝ちを果たした。

 クールモアグループが所有し、エイダン・オブライエンが管理するサクソンウォリアー。その母メイビー(父ガリレオ)もまた、クールモアグループが所有し、エイダン・オブライエンが管理して現役生活を送った馬で、同馬は2歳5月という早期デビューを飾ると、いきなり無傷の5連勝をマーク。しかも、G1モイグレアスタッドS(芝7F),G2デビュータントS(芝7F),G3シルヴァーフラッシュS(芝7F)という3重賞を制し、欧州2歳牝馬チャンピオンに選出されている。

 メイビーの3歳初戦となったのがG1英千ギニー(芝8F)で、同馬はオッズ2.625倍の1番人気に推されたのだが、ここで3着に敗れてデビューからの連勝が5でストップ。続くG1英オークス(芝12F10y)5着、G1ファルマスS(芝8F)5着、G1メイトロンS(芝8F)8着と、3歳時は4連敗を喫して、通算9戦5勝の成績で現役生活を終えている。

 ちなみに、メイビーの叔母にG1英オークス勝ち馬のダンシングレインがいて、近親にはG1英ダービーなど3つのG1を制したドクターデヴィアス、日本で走りG1高松宮記念を制したシンコウキングがいるという、名門ファミリーを背景に持っているのが、サクソンウォリアーだ。

 引退したメイビーは、日本で繁殖生活をスタートさせ、2014年2月8日に初仔となる父ディープインパクトの牝馬を出産。パヴレンコ(牝3、父ディープインパクト)という競走名となった同馬は、これもクールモアグループが所有して、エイダン・オブライエン厩舎に入厩。8月27日現在で8戦1勝。仕上がりの早かった母とは異なり、初白星を挙げるのに5戦を要したが、その後、8月8日にコークで行われたLRプラチナムS(芝8F)では3着に好走している。重賞初挑戦となった、8月27日にカラで行われたG3スノウフェアリーS(芝9F)では、さすがに相手強化に戸惑ったか大敗を喫したが、これからひと化けあってもおかしくないと思わせる存在となっている。

 そして、2015年1月26日にメイビーが出産した、彼女にとって2番仔となる牡馬が、件のサクソンウォリアーである。

 ちなみにメイビーは、サクソンウォリアーが離乳した後、2015年10月7日に日本を出国してアメリカに転出。2016年は出産の記録がなく、今年4月4日に3番仔となる牡馬をアメリカで出産している。3番仔の父は、2015年の北米3冠馬アメリカンフェイローだ。すなわち、3番仔まで3冠馬ばかりを交配されているのが、メイビーなのである。

 サクソンウォリアー自身は、2015年10月21日に日本を離れ、アイルランドへ移動。育成、馴致を経て、8月27日のデビューを迎えたのであった。

 14頭立てとなった中、オッズ1.73倍という圧倒的1番人気に推されていたのは、同じエイダン・オブライエン厩舎所属で、主戦のライアン・ムーアが乗るクリストファーロビン(牡2、父キャメロット)で、調教師の子息であるドナカ・オブライエンが手綱をとったサクソンウォリアーは、オッズ9倍の3番人気だった。

 道中は後ろから2頭目の内埒寄りで競馬をしたサクソンウォリアーは、2F標識を過ぎた辺りからドナカ・オブライエンが馬を外目に持ち出しつつジワジワと進出。残り1Fから一気に弾けると、あっと言う間に先頭に立ち、そこから後続を3.1/4馬身突き放すという、鮮やかな競馬で勝利を収めたのだ。その切れ味は、まさしく父ディープインパクトを彷彿とさせるものであった。

 この結果を受け、大手ブックメーカーのウィリアムヒル社は、来年の英ダービーへ向けた前売りで、同馬をオッズ26倍の3番人気に急浮上させている。

 また、アメリカの競馬日刊紙サラブレッドデイリーニュース(TDN)は、サクソンウォリアーを「TDNライジングスター」に指名。将来のスター候補と認定している。

 サクソンウォリアーは、9月24日にナース競馬場で行われるG2ベレスフォードS(芝8F)や、9月30日にニューマーケットで行われるG2ロイヤルロッジS(芝8F)の一次登録を済ませており、こういった重賞戦線に駒を進めてくるかどうか、今後の動向が注目されている。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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