元調教師の馬主

2017年10月31日(火) 18:00


◆これほど見事な変わり身があるだろうか

 現在、中央競馬の調教師は満70歳の2月が定年となっているが、地方競馬では主催者ごとに定年が決まっていたり、なかったり。近年では川崎の八木正雄調教師が、2009年11月に92歳で亡くなるまで調教師を続けたという記録もある。

 定年か、自主的に引退する勇退かにかかわらず、競馬界には馬の世界しか知らないという人も少なくなく、地方競馬の調教師には引退後に馬主として馬と関わっていくという人もいる。

 地方競馬で、所有馬が全国区の活躍を見せた元調教師の馬主には、元ホッカイドウ競馬の調教師、林正夫さんがいる。

 調教師時代の代表馬には、1999年にデビュー戦のフレッシュチャレンジから、栄冠賞、JRA函館のラベンダー賞、さらに函館3歳S(現2歳S)を制したエンゼルカロがいる。エンゼルカロはその後も、札幌3歳S(現2歳S)3着、ファンタジーS(京都)3着と好走した。また、2002年の北海道2歳優駿を鞍上・武豊騎手で制したブラックミラージュもいる。

 林正夫さんは、2007年までで調教師を勇退。そして馬主となって所有したショウリダバンザイは、ノースクイーンC3連覇(2010〜2012年)に加え、道営記念(2011年)なども制した。

 ちなみに林正夫さんは、騎手時代にはホワイトパール(1964年)、シユナイダー(1965年)で、調教師としてはハツピシルバー(1983、86年)で道営記念を制しており、騎手としても、調教師としても、そして馬主としても道営記念を制するというめずらしい記録も残した。

 一方で、これほど見事な調教師としての引き際と、見事な馬主への変わり身があるだろうかと感心させられたのが、10月26日、園田の兵庫若駒賞を制したトゥリパの馬主であり、兵庫の元調教師でもある、橋本忠男さんだ。

 橋本忠男さんは、今年1月4日の出走を最後に勇退。通算1374勝は兵庫所属調教師として歴代4位の成績、重賞でも52勝を挙げた。代表馬には、デビューから10連勝で兵庫ダービーや黒潮盃(大井)などを制したオオエライジンなどがいる。

 調教師としては、最後の重賞挑戦となった今年1月3日の新春賞を、管理するエイシンニシパで制し有終の美を飾った。鞍上は、厩舎に所属する愛弟子、吉村智洋騎手だった。

 そして調教師から馬主となって、いきなり重賞制覇の快挙となったのが、先のトゥリパによる兵庫若駒賞だ。トゥリパは、なんとここまで未勝利。6戦して2着2回、3着3回という成績で、兵庫若駒賞では7番人気。抜群のスタートから見事に逃げ切り、デビュー7戦目での初勝利が重賞制覇だった。

 殊勲の鞍上は、師匠に最後の重賞タイトルをもたらした吉村智洋騎手。さらにトゥリパを管理する平松徳彦調教師は、騎手時代に橋本忠男厩舎に所属していたことがあったという、まさに橋本ファミリーによる勝利だった。

斉藤修

左から、平松徳彦調教師、馬主の橋本忠男さん、鞍上は吉村智洋騎手(写真:兵庫県競馬組合)

 ちなみに吉村騎手は、トゥリパにはこのときが初騎乗。兵庫若駒賞にはたまたま騎乗馬がいなかったことから、平松調教師が依頼したということのようで、ほとんど偶然ともいうべき組み合わせでの快挙だった。

 吉村騎手にとっては、師匠に対して調教師として最後のタイトルと、馬主として最初のタイトルをプレゼントすることになったわけだが、表彰式のインタビューでは、「師匠に勝利をプレゼントしたというより、師匠から勝利をプレゼントされ続けている感じです」と話していたのが印象的だった。

 馬と人、そして人と人の絆を感じさせられる出来事だった。

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斎藤修

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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