見えない糸で結ばれていたキクノスパンカー ファンが引き取る行為が一般的ではない時代(1)

2017年11月28日(火) 18:00

第二のストーリー

▲イーハトーヴ・オーシァンファーム時代のキクノスパンカー(右、キクノスパンカー、左イブキダイハーン)、提供:Nさん

馬の体から伝わるぬくもりと、優しい瞳

 キクノスパンカーという馬がいる。今年26歳。7歳(旧馬齢表記)で現役を退くと同時に、札幌市在住の女性・Nさんの愛馬となり、第二の馬生を北海道で過ごしてきた。当コラムでも先週まで紹介した北海道白老町のイーハトーヴ・オーシァンファームに繋養されていた同馬だが、同ファームの閉鎖に伴い、今年2月26日に北海道新ひだか町の荒木牧場へと居を移した。キクノスパンカーが走っていた1990年代は、引退した馬をファンが引き取るという行為は、まだ一般的ではない時代だった。だがNさんは、偶然ラジオで知ったキクノスパンカーを一途に思い続け、積極的に動き、北海道から遠く九州の荒尾競馬場に移籍したその馬をついに引き取った。以来20年という長い年月を、Nさんの愛馬としてスパンカーは穏やかに暮らしてきた。

 Nさんが馬を意識したのは、まだ就学前のことだった。

「札幌市内に住んでいましたし、そんなに田舎というわけではなかったんですけど、農耕馬で大きな馬が週1回くらいの割合で生ごみを回収に来ていたんです。大きいのに大人しくて、人の言うことをよくきくなと、子供ながらに感じていました」

 Nさんと私は年代が近いのだが、私が幼い頃にも、養豚業者が豚の餌用に各家庭を回って生ごみを回収していた記憶がある。Nさん宅方面の生ごみを回収していたのも、恐らく養豚業者だったのではないだろうか。

「回収に来た時はカランカランとハンドベルが鳴るんです。それを聞いたら、母のもとに走っていって『お馬さんのおじさんが来たよ』って知らせていました。それが私のちょっとした仕事みたいな感じで、すごく楽しみだったんですよね。馬がやって来て家の前で停止する時に、前脚をイチ、ニという感じで止めて、おじさんがよしというまで微動だにしないんですよ。おじさんに聞いたら良いよと言ってくれたので、その馬を触ったこともあります。触った時のぬくもりからもやさしさを感じましたし、馬が私を見る時に一度まばたきをするんですけど、その瞬間、本当にパチクリという感じで、何てこんなに大きいのに優しいのだろうと思いましたね」

 馬の体から伝わるぬくもりと、優しい瞳が忘れられないという。

第二のストーリー

▲優しい瞳のキクノスパンカー、提供:Nさん

 お父さんが競馬好きだったが、Nさんは子供ながらもギャンブルに良いイメージを持っていなかった。だがNさんが中学生の時、渡仏を前に日経新春杯(1978年)で栗毛の貴公子テンポイントが骨折。予後不良の診断が下されたが、たくさんのファンの声に後押しされる形で手術が行われた。手術は成功したものの蹄葉炎を発症し、結局は天国へと旅立ってしまった。その一連の出来事が、新聞やテレビで大々的に報道され、テンポイントの名は日本全国に知れ渡っていた。Nさんの脳裏にも深く刻み込まれた。

「サラブレッドは骨折したらいかに大変かとか、脚に負担がかからないよう馬房で上から吊るされていたテンポイントの姿や、テンポイントを助けてというファンからの手紙やお見舞いに贈られた千羽鶴などがニュースになっていましたよね。それがすごく心に入ってきました。それまでは競馬というものがあって、馬が走っていて…と、ただ何となく思っていただけだったのですけど…」

 Nさんが本格的に競馬を見始めたのは社会人になってからで、好きだったのはタマモクロスやメジロマックイーンなど芦毛の馬だった。

「天から舞い降りてきた使者のようなイメージが芦毛にはありましたね」

 シンザンの子でシルバーランドという芦毛の快速馬の存在を知り、どこか惹かれるものがあり、シルバーランド産駒のダイセツランドの応援に札幌競馬場にも足を運んだ。

「シルバーランドがまだ生きているとわかって、会いに行きたいと牧場に電話をすると、怪我で亡くなったと聞かされ、ダイセツランドについても尋ねると腸捻転で亡くなったと。てっきり休養していると思っていたのですけどね」

 そう話すNさんは、とても残念そうだった。

 そんなある日、偶然流れてきたラジオ番組で、馬の生産牧場が紹介されていた。その牧場主は、生産馬が北海道に放牧に出されると必ず会いに出かけるのだという。番組の中で、牧場主の生産馬の1頭を訪ねるシーンがあり、Nさんの耳に「キクノスパンカーはいますか?」という声が飛び込んできた。だがキクノスパンカーは、放牧先である牧場から栗東トレセンへと帰っていったばかりだった…そういう内容だったとNさんは記憶している。

 ラジオで耳にしたキクノスパンカーが気になったNさんは、何気なく広げたスポーツ新聞の出馬表にキクノスパンカーの名前を発見して、札幌競馬場に遠征に来ていることを知った。

「これは会いに行きたいなと思って、それからですね」

 札幌競馬場では、ファンサービスの一環として、週中に調教見学を行っていた。Nさんは毎週、朝5時からの調教見学に通った。入口でその日に馬場に出てくるであろう馬たちのゼッケン表が渡された。398番。キクノスパンカーのゼッケン番号をオペラグラス越しに探すが、おびただしい馬の中から、その番号はなかなか見つかるものではない。日曜日に仕事が入ることもあるので、スパンカーが走っていても、競馬場には足を運べなかったので、流星があるとか、脚に白い部分があるなど、特徴もわからなかった。それでもNさんはキクノスパンカーにのめり込んでいき、その馬しか見えなくなっていた。

第二のストーリー

▲キクノスパンカーにのめり込んでいったNさん、提供:荒木牧場

「その頃、買った競馬雑誌に、ある女性が元競走馬を引き取ったという話が掲載されていたんですよ。えっ? 一般の人が馬を引き取れるの? とビックリして、これは調べなくてはダメだと思いました。それでスパンカーへの思いがますます加速していったんです」

 この時既に、キクノスパンカーとNさんは、見えない糸で結ばれていたのかもしれない。

(次回に続く)

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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