【2018年注目の人】JRA史上初!開成東大調教師「第1回:あなたはなぜ東大へ?」/林徹×須田鷹雄の先輩後輩対談

2017年12月29日(金) 19:00

2018年3月に新規開業する調教師の中に、どうにも気になる新人トレーナーがいる。JRA史上初、開成高校・東京大学出身の調教師が誕生するのだ。その名も“りんてつ”こと林徹調教師。「スゴすぎる経歴」と「異色なキャラ」を併せ持つと噂のりんてつ調教師、その素顔を暴くべく、東大の先輩・須田鷹雄氏が立ちあがった!! (文:編集部)


知られざる東大の試験の実態

 先輩、今日は私のために栗東までお越しいただきまして、誠にありがとうございます。こんなラフな格好でふらふらと登場してしまいまして申し訳ございません。

須田 9個下の後輩になるそうで。自分の9個上って誰だろうと思うと、確かに年齢だけはえらく先輩ですね。今日はあまり緊張させてもあれなので、ゆる〜くいこうと思いますので。先輩だ後輩だって言っても、しみじみと経歴とかは聞いたことがなかったもんね。まずは、出身はどこですか?

 出身は、JRAのホームページ上は兵庫県です。ただ、生まれてから半年しかいなくて、育ちが小4までが千葉県で、小4の秋から茨城県の龍ケ崎市。美浦の隣です。実は、稀勢の里と同じ中学なんです。しかも、稀勢の里は野球部の後輩なので、「おい! 稀勢の里!」って呼んでも、まぁまずくはない(笑)。

須田 じゃあ、開成は高校からですか。高校で開成を受けようということは、中学のときにそこそこ勉強ができたわけですね。開成って中学からいる人間と、高校から入ってくる100人がいるんでしょ? 学内ではすぐ馴染むの?

 入ってから1年間はクラスが別なんです。中学から上がってきた人が“旧校”、われわれが“新校”と呼ばれるんですけど、旧校の方がカリキュラムが進んでるので、1年間詰め込みで別クラスでやって、2年から一緒にという感じです。

須田 そういうものなんですか。私の行っていた麻布は全員中学からだったので、だいぶ事情が違いますね。その後、大学受験するにあたっては、どっちが勝率いいとかそういう傾向は? 中高一貫だと、中学から高校に上がるぐらいの時期って、一番緩んでる時期なんだけど。

 やっぱり底力があるのは旧校なので。ただ、旧校が一番緩んでる時期にわれわれが入って、自分は緩い人に汚染されて、1学期の終わりにはあっという間にクラスでビリになっていました。

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▲「緩い人に汚染されて、1学期の終わりにはあっという間にクラスでビリに」

須田 私も、高校1年までは模試の成績も良かったんですが、高3ではもう、アラアラで。逃げ馬がタレたけど、ぎりぎり5着みたいな大学合格でした。

 ぎりぎり掲示板に残ったわけですね。

須田 そうそう。皆さん勘違いしているけど、進学校って言われる学校の人間が、ずっとちゃんと勉強していると思ったら大間違いです(笑)。あとこれも誤解されがちですが、東大を受ける人ってまず、暗記が苦手ですよね。暗記をしたくない人が東大に行くんです。東大の試験って筆記なので、文章を書けるやつが有利なわけです。

 自分なんて英単語は全然知らないんですけど、「考えるな! 感じろ!」っていうことです。試験の時にリンカーン元大統領の文章が出たんです。英語は知らなくても、読んでるとなんとなくリンカーンの文章だなっていうのが分かって、それで出来たんですけど。

須田 全部を理解しないとダメな性分の人は、意外と弱いですよね。持っている材料で何とかしようという技術に長けている人間。例えば、「冷蔵庫にあるもので、何を作ってもいいから美味しいものを作りなさい」みたいな入試なんです。レシピをがっちり守るとかじゃなくて、見たことのないようなものが出来上がっても美味けりゃ合格、みたいな入試なんです。入試が終わったら一切不要になる知識を、無理に暗記させられないのはいいところだなと。ただ、英語のボキャブラリーだけは、持たないまま学校に入って、林先生みたいになるケースがあるという。

 ……えぇ。その成れの果てが、9月に海外に1か月行かせていただいたじゃないですか。イギリスで馬に乗ってて、若い女の子に何かしゃべりかけられて返事をしたら、“I can't understand your English!”ってバッサリ。本当、出川哲朗さんみたいな英語しかしゃべれないので……。

実は…馬の世界では東大は低学歴?

須田 もう一つ、これはぜひ言っておきたいんだけども、東大を出て調教師になったとかいうと、こうやってメディアが記事にしてくれちゃうじゃないですか。ただ、馬の世界では、東大は低学歴だということを、ちゃんと整理したほうがいいと思います!

 おっしゃる通りです!

須田 馬の世界では、関東なら何と言っても明治ですよ。明治、専修、日大、中央で、いろいろとあって農工大、東大。

 明治の馬術部なんて、われわれからすると雲の上の存在ですよね。明治に限らず、強豪私大で活躍された近い世代の方で調教師になられた方は、私は大学時代から存じ上げておりますが、逆となると、どなたも私のことを知らなかったと思います。

須田 馬事公苑での講習会ってあったじゃない。われわれは指導者がいないから、そういうところで教えてもらうわけですけど、たまたま専修の人たちも来ていたんです。1つ上の代で、いま藤原英昭厩舎にいる田代信行助手とか。その状況に超ビビって……。「すげぇ下手だと思われてるんだろうな」とか思いながら、恐る恐るみたいな感じで。

馬ラエティBOX

▲「上手い人と一緒に乗るという状況に超ビビって」

 わかります。こっちは明らかに下手なのに、なんで一緒に乗ってるんだろう……って。

須田 ただ林君は助手になって今や調教師になってるけど、僕は大学の時に馬を触る才能はないということを自覚して、気持ちよく文章だけを書くようになったわけですよ。

 先輩はどうして馬術部に入られたんですか?

須田 競馬は高校の時から見ていたので、競馬サークルも考えたんですけど、当時は活動が停滞している時で。スポーツはやりたい気があったんだけど、テニスとか経験者がいるのにいまさら始めるのも嫌じゃないですか。何かないかなと思っていたら、馬術部が勧誘してきて。今ほどではないけど、当時で80キロくらいあったんですよ。それでもとにかく使役要員がほしいからって。

 喉から手が出るほど人がほしいですもんね。

須田 そうすると「馬に乗ると楽しい」「学校行かない」「学校に居場所がなくなる」「学校に行かないから馬に乗る」「もっと居場所がなくなる」の繰り返しで。林先生はどんなきっかけで?

 自分はダビスタとか『銀の夢』という本を読んだりして、馬って面白そうだなって。大学に入ったら馬術部に入ろうって思っていたんです。高校まで野球をやっていたんですけど、大学の野球部はレベルが高いから、入っても球拾いで終わるなと思って。それで言葉は悪いんですけど、東大の馬術部なら試合ぐらいは出られそうかなって。

須田 基本的に3年4年我慢さえしていれば、試合には出られるわけですよね。同期って、何人ぐらい?

 最初は7人ぐらいで、残ったのが3人です。

須田 最後3人は普通だけど、最初が少なかったですね。大学は4年で出たの?

 4年で出ました。

須田 すげぇな! それは僕の時代と違うな。僕らの頃は、まず1回ダブってから考える……みたいな。ちなみに、部活の成績は?

 確か、全日本学生馬術大会で入賞したんじゃなかったですかね。障害で。

須田 東大でそれは相当ですよ。

 しがみついていれば帰って来られるような、いい馬が入ってきたんです。入賞したかしないか、ぎりぎりぐらいのところでした。

須田 それはたいしたものです。われわれの頃は、全日に行けるやつほとんどいなかったもん。

 うちらは全日で、団体を組めるぐらいだったので。

須田 僕らの頃から5年間くらい弱い時期が続いて、その後、私大の指導者だった人がなぜか東大で教えてくれるようになって、そこから強くなったんだよね?

 そうです。元オリンピックコーチだった方で、自分たちがその指導を受けた最後の世代なんです。

須田 いい時期を経験してるわけだ。そこから本職にまでなったわけだから、良い馬術部経験でしたね。

(次回へつづく)

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