16歳で伝統の障害競走を制覇、英国に彗星のように現れた黄金ルーキー

2018年01月17日(水) 12:00


◆「この少年は間違いなく、第2のA・P・マッコイになるでしょう」

 英国の競馬サークルに彗星のように出現した、若きニュースターを御紹介したい。

 競馬専門メディアのみならず、ザ・ガーディアン、ザ・テレグラフといった一般紙にも特集記事が組まれ、時の人となっているのは、ジェームス・バウエン騎手(16歳)だ。

 その名が一躍全国区となったのは、1月6日にチェプストウ競馬場で行われたG3ウェルシュグランドナショナル(芝29F110y)だった。1895年に創設された一戦で、1979年以降は12月末の開催が定番となっており、昨年も12月27日に組まれていたのだが、その日のチェプストウ開催が大雨によるコース冠水で開催中止となり、10日後の1月6日に順延されて施行されたのだった。優勝したのはオッズ17倍の11番人気という伏兵ラズデマリー(セン13、父シャーンマー)で、13歳馬によるウェルシュグランドナショナル制覇は、1927年のスナイプスブリッジ以来90年ぶり2頭目という快挙だった。レースが従来の日程で行われていれば、ラズデマリーは12歳だったわけで、順延されたからこそ達成された記録ということで、ことさら話題となった。

 しかし、ラズデマリーの快挙以上にメディアやファンの耳目を引いたのが、ラズデマリーの手綱をとっていたジェームス・バウエンだったのだ。弱冠16歳という、障害騎手としてデビューを果たしたばかりの若手が、120年以上の歴史を誇る伝統の一戦を制したのである。騎乗馬の年齢が13歳で、すなわち、年齢差が3歳しかない馬と騎手のコンビというのも滅多に見られるものではなく、その部分も含めて、世間の大きな関心を集めたのだ。

 ジェームス・バウエンは、その1週間後にも、レーシングポストで大きな見出しとなった。1月13日にケンプトンで行われたLR32レッドランザローテハードル(芝21F、障害数8)で、ニッキー・ヘンダーソン厩舎のウィリアムヘンリー(セン8、父キングズシアター)に騎乗し、見事優勝を飾ったのだ。

 11ストーン12ポンド(=約75.3キロ)のトップハンデを課せられたものの、鞍上のバウエンは見習いで5ポンドの減量特典があるため、実際には11ストーン7ポンド(=約73キロ)での出走となったウィリアムヘンリーを、道中は馬群内側中団に位置して脚を溜め、8号障害飛越後からジワっと進出。最終障害手前で先頭に立つと、後続の追撃を余裕で封じるという、教科書通りの全くソツのないレース運びで勝利したのだった。

 ハードル転向初年度だった昨シーズン、4戦2勝の成績を残したウィリアムヘンリーは、今季からスティープルチェイスに転向すべく、今季初戦となった11月17日にチェルトナムで行われたノーヴィスチェイス(芝20F78y)に出走。しかし、D・ラッセルが騎乗したウィリアムヘンリーは1号障害で拙い飛越を見せると、2号障害以降もスムーズさを欠く飛越を続け、8号障害手前で鞍ズレを起こし、競走中止に終わっていた。

 この経験がウィリアムヘンリーのメンタルに悪影響を及ぼしたようで、同馬は障害を跳ぶことに対する自信を失いかけてしまったが、その後、調教の時にも同馬に騎乗し、辛抱強く立て直しを図ったのがジェームス・バウエンだった。1月13日のレースは、実戦においてはテン乗りだったが、実は人馬の間には確固たる信頼関係が築けており、この日のウィリアムヘンリーは終始、スムーズな飛越を見せることが出来たのだった。

 そんな背景があったことを承知の上でレースを見ていた、ウィリアムヘンリーの馬主ダイ・ウォルター氏は、レース後、こうコメントした。「16歳とは、全く信じれません。この少年は間違いなく、第2のA・P・マッコイになるでしょう」。

 A・P・マッコイとは、95/96年シーズンから14/15年シーズンまで、20年連続で障害のリーディングを獲得。歴代で4367勝(平地を含む)を挙げ、史上最高の障害騎手と謳われた、アンソニー・ピーター・マッコイのことだ。ヨーロッパの競馬サークルで、マッコイ2世と称されることは、最大限の賛辞なのである。

 2001年3月12日、ペンブルークシャーを拠点とするピーター・バウエン調教師と、母カレンさんとの間の三男として生まれたのがジェームスだ。長男のミッキーは、ポイント・トゥ・ポイント競走の調教師業を営み、次男のショーン・バウエンはポール・ニコルス厩舎のセカンドジョッキーとして騎乗しているプロ騎手だ。次男のショーンも、見習い騎手チャンピオンに輝いた経歴があり、将来を嘱望されている若手である。そういう家庭に育ったジェームス少年は、8歳の時に、将来は騎手になると決意。父の厩舎を手伝い、ポニー競馬に騎乗しながら、腕を磨いた。

 12歳だった2013年12月、彼は一度、チェプストウのウェルシュグランドナショナルの舞台に立っている。父の管理馬アルーエが同競走に出走し、ジェームス少年は厩舎スタッフの一人として馬に付き添ったのだ。そして、こういう舞台に騎手として立ちたいと、改めて思ったという。

 昨年冬、ポイント・トゥ・ポイント競走の騎手として本格的な騎乗を開始したジェームスは、初年度の騎手としてのシーズン最多勝記録をマーク。17/18年シーズンの開幕を前にして、複数の調教師たちの間で、この黄金ルーキーの争奪戦が勃発した。

 最終的に、ジェームスと騎乗契約を結ぶことになったのは、チェルトナムフェスティヴァル歴代最多勝記録を持つチャンピオントレーナーのニッキー・ヘンダーソンで、ジェームスは昨年10月1日から、ヘンダーソン厩舎所属の見習い騎手として騎乗を開始した。ラズデマリーで制したG3ウェルシュグランドナショナルが、彼にとっては重賞初制覇。これを含めて、1月14日現在で38勝を挙げているジェームスは、英国の障害騎手リーディングで第14位につけている。

 英国に出現したニュースター、ジェームス・バウエンの今後の活躍に、日本の皆様もぜひご注目いただきたい。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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