2018年03月05日(月) 12:01
▲「これから!」というタイミングで起きた落馬事故、葛藤の日々を明かします
キタサンブラックの陰の立役者、黒岩騎手のインタビュー第2回。今回はデビュー当時からを振り返っていきます。いきなり、所属厩舎の取り違えがあったという衝撃のエピソードが飛び出し…!? デビュー3年目に起きた全治半年の大ケガのことなど、波乱だった新人時代を語ります。(取材:東奈緒美)
東 2002年に栗東の吉岡八郎厩舎からデビューされたわけですが、先生とは何か所縁があったのですか?
黒岩 いえ、とくにご縁があったわけではありません。聞いたところによると、間違われたみたいで…。
東 えっ!? どういうことですか?
黒岩 容輔(高野容輔元騎手)が福永甲先生の厩舎に入ったんですけど、本来であれば、僕が入る予定だったみたいで…。福永先生は、僕と同じ高知のご出身なんですよね。だから、福永甲厩舎に引き取られるはずが、なにか行き違いがあったらしく(苦笑)。詳しいことはわからないんですが、厩舎に入ってからそのようなことをチラッと聞きました。
東 そうだったんですね(笑)。
黒岩 吉岡先生も優しかったですし、助手さんも厩務員さんも気さくな方ばかりでしたから、まったく気にしたことはなかったですけどね。僕が引っ込み思案だったこともあって、先生と競馬や馬についてジックリお話したことはないんですが、僕の知らないところでは、ほかの調教師の先生に「ウチの黒岩を頼むな」とずっと言ってくださっていたらしく…。そうやってずっと陰でサポートしてくださっていたんだなと感じています。
東 愛情深い先生ですね。ところで、黒岩騎手は引っ込み思案なんですか? そんなに“おとなしい”タイプではないような…。
黒岩 デビュー当時は、めちゃくちゃおとなしかったですよ。引っ込み思案で、前に出ないというより、出られなかった感じです。
東 競馬の世界では、自分を売り込んでいく強さも重要かと思いますが、そういうのも苦手だった?
黒岩 そうですね。今振り返ると、当時の自分に「お前、何してんねん!」って言ってやりたいですけど、当時は積極的に行動したり、アドバイスを求めたりすることができませんでしたね。・・・
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東奈緒美・赤見千尋
東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。 赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。
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