2008年07月26日(土) 20:00
「芦毛の馬、がんになりやすい」。こういう見出しの記事が、今月22日付けの朝日新聞朝刊に載っていました。スウェーデンなどの研究者による解析でわかったもので、アメリカの有名科学雑誌に発表されたそうです。
芦毛馬がかかりやすいのは悪性の黒色腫。人間で言えば皮膚ガンです。日本では、シービークロスがそのために死亡、オグリキャップは発症したものの手術で一命を取り留めた、などの例もあるように、そういう傾向があることは関係者の間で知られていましたが、それが科学的にも実証されたわけです。
芦毛馬がそんな“悲運”を内に秘めて走っていると思うと、ちょっと切なくなりますね。競馬ファンの中には「だから芦毛馬を応援したくなる」という方もいらっしゃるでしょう。そこまでいかなくても、「思い出の芦毛馬」というのが必ずいるはずです。それを挙げてもらえば、その人の競馬歴が見えてくるかもしれません。
私は、まずはホワイトフォンテンを挙げたいですね。この馬が活躍したのは1975(昭和50)年から翌年にかけて。勝っても勝っても人気にならず、中山の日本経済賞やアメリカジョッキークラブカップなどを逃げ切って大穴をあけ、「白い逃亡者」というニックネームまでつけられた“超個性派”です。父の影響で小学生の時からテレビの競馬中継を見ていた私は、ホワイトフォンテンが頑張っていた中学3年生の頃には競馬新聞の見方も覚え、予想もしていました(馬券は買っていませんでしたよ。念のため)。75年の日本経済賞は私が生まれて初めて万馬券を当てた(?)レース。その年に、同馬が中山の4000m戦・日本最長距離Sを逃げ切っていたので、「長距離得意(日本経済賞は2500m)、中山実績あり、逃げ馬有利」と素直に考えたんです。そうしたら思った通りになっちゃいましてね。改めて振り返ると、あれはいわゆるビギナーズラックだったような気がします(だって今は、馬券で大苦戦してますから)。
その後の芦毛馬では、タマモクロスが好きでした。450kg前後の、わりと細身の馬体。しかも芦毛なので、見映えはそれほどよくありません。さらに、「下に何か落ちてないかな」なんていう感じで頭を低く下げて走るんです。いじらしいというか、けなげというか。しかも、3歳(当時の4歳)秋から突如頭角を現してきた“遅咲きの異端児”。ドラマチックな馬でした。ほとんど同じ時期にオグリキャップが出てきたので、どちらかといえば“ナンバー2”的存在でしたが、なかなかの強者だったと思います。
他にも、プレストウコウ、ハクタイセイ、メジロマックイーン、ホワイトストーン、クロフネなど、私にとっての「思い出の芦毛馬」は何頭かいます。ついでに書くと、ウメノアクティブという馬が7枠に入っていたレースを実況したとき、「オレンジの帽子、芦毛の馬体」と言わなければいけないのに、なぜか途中を“省略”、「オレンジの馬体!」と言ってしまい、自分で吹き出しそうになったのを今でも覚えています。
それはさておき、その時その時で印象に残る芦毛馬って、いるもんですよね。今年は白毛のユキチャンがアイドルホースになっていますが、白毛で“走る馬”が現れるなんて思ってもいませんでした。でも、白毛にしろ芦毛にしろ、そういう毛色の個性派が出てくるたびに、競馬史の新たな1ページが書き加えられているようです。あなたにとっての「思い出の芦毛馬」は、どの馬ですか?
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矢野吉彦
テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。