2008年08月26日(火) 23:50
伝統あるヨークのイボア開催が、大雨によるコース冠水によって4日間(8月19日〜22日)すべての開催が中止になるという、異例の事態が発生した。
ヨークのイボア開催と言えば、好天が代名詞で、欧州の競馬場にしては平坦で芝のカットも短めなことから、時計勝負になることが多いことで知られる開催である。
ところが今年は、開催前の週末から記録的な量の降雨があり、残念ながらそういう土地柄ゆえにコースの排水設備が貧弱だったこともあって、競馬開催が行える状態ではなくなってしまったのである。1843年に第一回が行われたイボアHを例にとれば、第一次世界大戦と第二次世界大戦期間中を除けば150年以上にわたって毎年開催されてきただけに、中止はまさに異例の事といえよう。
ちなみに開催初日が中止になった翌日、レーシングポスト紙の表紙を飾った水浸しのコースの写真のキャプションは、「デュークオブマーマレイドよりも、マイケル・フェルプス(北京五輪で金メダル8個の水泳選手)に適したコンディション」であった。
好カード目白押しのイボア開催。主要レースは、週末(8月22日・23日)にニューマーケット、ニューバリー、グッドウッドといった競馬場で行われた開催に移設して行われたが、中でも、出走馬の動向を含めてその行方がおおいに注目されたのが、イボア開催の目玉ともなっている距離10f88yのG1インターナショナルSだった。当初は19日(火曜日)に予定されていたこのレースで、「今季ここまでG1・4連勝のデュークオブマーマレイド(牡4歳)vs今年の英国ダービー馬ニューアプローチ(牡3歳)」という、古馬・3歳馬最強馬同士のマッチアップが予定されていたのである。
ところが、馬場の悪化によって、まずレース前日にニューアプローチが出走取り消しを表明。デュークオブマーマレイドの方は、本拠地のアイルランドからヨークに輸送されたものの、19日の開催が中止になった段階で、仮にインターナショナルSが順延になってイボア開催後半にレースが行われたとしても、この馬場ではとても走らせられないと、さっさとアイルランドに帰ってしまったのである。
その後、ヨークと統括団体のBHAが協議を行い、イボア開催全体の中止が決定。同時に、インターナショナルSは週末(23日)にニューマーケットで行われることが発表された。
ヨークの南、直線距離にして220キロほどに位置するニューマーケット・ジュライコースの馬場状態は、Good to Firm。ヨークの高速馬場を期待していた馬たちにとっては、お誂え向きのコンディションだった。ということで、デュークオブマーマレイドの陣営もニューアプローチの陣営も、改めて出走を表明。真夏の頂上決戦が実現したのである。
結果は、デュークオブマーマレイドの優勝。1週間で2度の輸送を行ったことが懸念されたが、これをまったく問題にしない立派なパフォーマンスだった。
半馬身差の2着が、前走のエクリプスS、前々走のプリンスオブウェールズSと、この路線の基幹G1でいずれも2着だったフェニックスタワー(牡4歳)。ニューアプローチは更に2馬身半遅れた3着だった。
つまりは、古馬勢の完勝に終わったのである。
ただし、順調に使われてきた古馬2頭に比べて、ニューアプローチは休み明け。それも、愛ダービーをトモの筋肉を傷めて取り消した後だっただけに、中間の調整にも難しいものがあったようだ。
デュークオブマーマレイドとニューアプローチは、9月6日の愛チャンピオンSで再度相まみえる公算大。今年のこの路線の3歳は弱いとの烙印を押す前に、もう一度ニューアプローチのレースを見てみたいと思う。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。