2008年09月02日(火) 23:50
ニューマーケットのトップトレーナー、ジェフリー・ウラッグが、今シーズン限りでの引退を表明した。
ウラッグ師は、1930年生まれの78歳。スコットランドのフェッテス・スカレッジで学んだ後、兵役を2年務めた2年を挟んでアメリカに渡り、カリフォルニアの生産牧場に職を得たウラッグ師。本人はそのままアメリカで勉強を続けるつもりだったが、騎手から調教師に転身した父ハリー・ウラッグに説得されて帰国。その父から厩舎を受け継いだのが82年のシーズン末で、今年が調教師として26回目のシーズンだった。
ウラッグ師が頭角を現すのは早かった。開業初年度の83年にいきなり、名手レスター・ピゴットを鞍上に擁したティーノーソでダービー制覇を達成。ティーノーソではその後、サドラーズウェルズを2着に斥けてキングジョージも制している。
以降、チーヴァリーパークS、愛1000ギニー、コロネーションSなどを制した名牝マーリング。キングジョージ、愛チャンピオンSなどを制した他、ジャパンCにも来日したペンタイア。ロッキンジS、プリンスオヴウェールズS、サセックスSに加えて、香港Cも勝ったファーストアイランドなど、手がけた一流馬の名を挙げれば、枚挙に暇がない。近年では、06年の英国ダービーで、管理馬ドラゴンダンサーがサーパーシーの2着となっている。
師は、「自分の手がけた最強馬はティーノーソだが、最もうれしかったのはファーストアイランドで香港Cを制した時だ」と、海外遠征に積極的だった国際派らしい感想を述べている。
ジェフリー・ウラッグ師といえば、英国に遠征した日本馬に、馬房を提供してくれる調教師としても知られている。慣れない異国で苦労する中、ウラッグ師の温厚な人柄に助けられた日本人も多いはずだ。
ウラッグ師によると、調教師をやめるにあたって1つだけ、心残りがあると言う。名ジョッキーとして知られ、ほとんどの大レースを制している父ハリー・ウラッグが、唯一取り損なったクラシックがオークスで、息子としては何とかしてオークスを獲って、親子でクラシック全制覇を成し遂げたいというのが開業以来の夢だった。これを果たせなかったのは無念と、四半世紀以上にわたった調教師生活を振り返ったウラッグ師。今後もニューマ−ケットに住んで、馬とは縁の切れない生活を送りたいとしている。
バックナンバーを見る
このコラムをお気に入り登録する
お気に入り登録済み
お気に入りコラム登録完了
合田直弘「世界の競馬」をお気に入り登録しました。
戻る
※コラム公開をいち早くお知らせします。※マイページ、メール、プッシュに対応。
合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。