第39回、別海町産業祭・馬事競技大会

2008年09月23日(火) 23:40

 9月20日と21日の2日間にわたり、根室管内別海町にて草競馬が開催された。正式名称は「馬事競技大会」という。8月末にお隣の中標津町で開催された草競馬も「馬事競技大会」と称していた。道東ではこの名前が正しいらしい。

レース風景1

 さて、ここの草競馬は、中標津から中2週のローテーションとなり、会場も近いところからほぼ出走馬は共通している。多くの馬が中標津を叩いてここに臨むことになり、メンバーはほとんど同じような顔ぶれだ。

 中標津が一日でばんえいから平地、繋駕まで32レースもこなしていたのに比べると、こちらは2日間に分かれており、その分だけのんびりとしている。土曜日に平地と繋駕、そして日曜日がばんえいである。

 昨年この大会は、折からのインフルエンザ騒動のため中止となってしまい、多くのファンを落胆させたらしい。中標津と違って、ここは「別海町産業祭」という一大イベントの中で行なわれる一つのアトラクションに過ぎないが、それでも草競馬人気は高いのである。ちなみに馬事競技大会は今年で35回目となる。

 今回は日程の都合から土曜日の平地と繋駕レースしか観戦できなかったものの、関係者によれば「今年はかなり出走頭数が減少した」とのこと。受付を担当している男性に尋ねると「30頭〜35頭くらいのもの」という返答だった。それで18レースが組まれており、ほとんどの馬が2回もしくは3回出走することになる。でなければ、レースが成立しないのだ(結局、プログラムにはあるものの、馬が揃わずに不成立となったレースがいくつかあった)。

 午前10時。第1Rがスタートした。思い切りアバウトな作りの中標津競馬場に比べると、こちらはかなり整備されている印象だ。少なくとも、内埒と外埒は接触しても安全な構造になっており、幅員も中標津よりは広い。

レース風景2

 午前はトロッターの速歩やポニー、軽種馬などのレースが行なわれ、午後には、午前中に速歩で出走したトロッターたちが今度はソルキー(車)を牽引しての繋駕レースに登場した。ポニーや軽種馬なども午前同様、午後にもレースに出た。そうしなければ、とてもこなし切れるレース数ではないのである。

根本姉妹

 今回、また浦河ポニー乗馬少年団の面々が2台の馬運車ではるばる別海まで遠征した。総勢28人で馬10頭を連れての参戦だが、中標津同様、ここでも実際のところ浦河からの遠征組がいなければ、平地競馬が成立しないという危機的状況にある。

木村兄弟

 もちろんその逆もまた然りで、今や日高では浦河だけになった草競馬(7月最終日曜日の「浦河競馬祭」)にも、道東方面から愛好家の方々に来て頂かなければ成り立たない状態に陥っている。そのために、本来ならば、地域対抗戦として盛り上がるべき草競馬が、もう今では「お互いに支え合う」ような関係になってしまっている。

 この別海では以前、ムツゴロウこと畑正憲氏が、多くの人馬を連れて賑々しく参戦していた由。他にも多くの草競馬愛好家が、それぞれ自慢の馬を持ち寄り、レースに出走させていたという。頭数も多く、ずいぶん活気があったそうだが、徐々に頭数が減り続けており、ある関係者によれば「来年は、ばんえいと同日開催になるかも知れない」とのこと。

 そうなれば中標津競馬と似た「一日30レース」というような賑々しさになることが期待できるのだが、一抹の寂しさは否定できない。

 とりわけ深刻なのは、トロッターによる速歩や繋駕レースだろうと改めて感じる。中標津の際にも書いたことだが、とにかく競技人口が少なすぎるし、騎手の平均年齢が極めて高い。巧みに手綱を操り、馬を速歩のまま走らせる技術は、もう日本ではここでしか見られない。今年元気に出場していた人が来年もまた再び同じように出てきてくれる保証はなく、かといって、こと速歩と繋駕に関しては、後継者も育っていない。

 毎回、元気に出場する釧路管内厚岸町の野呂達雄さん(69歳)は、「後継者がいるなら道具一式譲ってもいいんだがね。誰か繋駕を継いでくれないかな」と将来への不安を口にする。野呂さんはこの日、午前と午後と合わせて5〜6レースに騎乗していた。体型はスリムで背筋も伸びており、いかにも若々しい。とてもそんな年齢には見えない人だが、速歩と繋駕に関しては、だいたいが野呂さんの年齢と似たり寄ったりだ。

野呂達雄さん

 繋駕競走は、調べてみると中央競馬で1968年12月(中京)に、地方競馬でも盛岡で1971年6月に行なわれたのが最後という。実際に競馬場で繋駕競走を見たことのある世代も若くて50代くらいのはずで、日本では野呂さんの世代が技術を伝えるその最後の世代なのかも知れない。なお、アメリカやカナダ、ヨーロッパの多くの国では、未だに繋駕競走が盛んに行なわれており、人気も高いらしい。しかし、日本ではもう道東にしか愛好家がいなくなっている絶滅危惧種である。見ておくのは今のうちだと改めて強く感じた。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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