2008年11月04日(火) 23:50
11月2日にアメリカ・ケンタッキー州のレキシントンで開催された「ファシグティプトン・ノヴェンバーセール」に上場された12歳の牝馬ベターザンオナーに、1400万ドル、日本円にして約14億円という驚愕の価格が付いた。
1400万ドルというのは、07年のキーンランド・ノヴェンバーセールでプレイフルアクトに付けられた1050万ドルを大きく更新する、繁殖牝馬としての歴代最高記録で、全てのカテゴリーを含めても06年のファシグティプトン・コールダーセールで父フォレストリーの2歳牡馬に付いた1600万ドルに次ぐ、全米オークション史上における2番目の高額購買価格である。
ベターザンオナーと言えば、06年のジャジル、07年のラグストゥリッチズと、産駒が2年連続でベルモントSに優勝。更に、彼女が05年に産んだ今年3歳になる牡馬が、山本英俊氏の持ち馬として今年春にベルモントパークのG2ピーターパンSを制したカジノドライヴである。すなわち、3年連続で超A級馬を輩出している近代屈指の名牝が市場に出回るということで、開催前から大きな話題を呼んでいたのが、ベターザンオナーだった。
ベターザンオナーがセールに上場されるのは、これが3度目。1回めは彼女が1歳の時で、キーンランド・ジュライに上場されて75万ドルという価格で購買されている。2回めが04年秋で、後のカジノドライヴであるマインシャフトの仔を受胎した状態でキーンランド・ノヴェンバーに上場され、ここでは200万ドルという高値で購買されている。
今回ベターザンオナーが売りに出されたのは、この馬を共同所有していたジョン・シクラ氏のヒルンデイル・ファームと、マイケル・モレノ氏のサザン・エクワイン・ステーブルが、考え方の相違からパートナーシップを解消することになったためだ。
果たしてどれだけの値が付くものか。破天荒な数字になるという見方があった一方で、01年に5歳で初めての仔を産んで以来7年連続で子供をとっていた彼女が、今年はエーピーインディの子を流産して空胎の状況で上場されたこと。年齢を考えると、今後そうはたくさん子供をとることが出来ないこと、などが懸念され、案外落ち着いた価格になるだろうとの見方をしていた市場関係者も見受けられた。
結局のところ、1400万ドルで彼女を購買したのは、元の所有者のひとりマイケル・モレノ氏。もともとベターザンオナーの権利の70%を保持していた人で、つまりは、1400万ドルのうち980万ドル分は自分に返ってくるわけで、モレノ氏としては420万ドルを投じて、残りの30%の権利を手中にしたことになる。資産価値の判断を市場に委ねるという、海外のブラッドストック・マーケットでは良く見られるパターンであった。
ベターザンオナーには来春、自身としては3度目となる、エーピーインディを交配される予定とのことだ。
「ファシグティプトン・ノヴェンバーセール」では、つい1週間前にサンタアニタで行われたブリーダーズCジュヴェナイルフィリーズを制したばかりのスターダムバウンド(牝2歳)も上場され、2番目の高値となる570万ドルで購買されるなど活発な取引が続き、なんと100万ドル以上の価格で購買された馬が19頭も出現。総売り上げが前年比35%アップの7028万ドル、平均価格が前年比58.8%アップの772,297ドル、中間価格が前年比38.9%アップの250,000ドルと、昨今の世界的金融危機などどこ吹く風の好況となった。
使い古されたフレーズだが、お金っていうのはある所にはあるものだと、つくづく思わざるを得ない。
ただし、だからといって競馬産業は安泰なのかと言うと、さにあらず。11月3日から同じレキシントンでスタートした「キーンランド・ノヴェンバーセール」の初日は、総売り上げが前年比56%ダウンの4802万ドル、平均価格が前年比42.7%ダウンの322,289ドル、中間価格が前年比32%ダウンの185,000ドルと、壊滅的と言っても過言ではない暴落を見せている。
お祭り騒ぎは2日は続かなかったということで、今後17日まで続くこの市場や、続いてヨーロッパで行われるタタソールズやアルカナの繁殖セールがどんな動き方をするか、関係者はおおきな懸念とともに見守っている。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。