2009年01月13日(火) 23:59
06年のJRHAセレクトセールで購買されてアメリカにわたった、05年の桜花賞馬ラインクラフトの弟が、1月10日にフロリダ州のガルフストリームパークで行われたメイドンレースで、待望の初勝利を挙げた。
この日の第3レースに組まれた芝8.5Fのメイドンを制した日本産馬の名を、フロレンティーノ(牡3歳、父スウェプトオーヴァーボード)という。
ラインクラフト(父エンドスウィープ)と言えば、3歳春に桜花賞だけでなく、牡馬を破ってNHKマイルCにも優勝。3歳秋には秋華賞2着、マイルCS・3着、4歳春には高松宮記念2着などの成績も残した、「名牝の時代」と言われる近年でも屈指の力量を誇った女傑であった。そのラインクラフトの4つ下の弟にあたるのが、フロレンティーノだ。6fのG1エンシェントタイトルHや、マイルのG1メトロポリタンHを制している父スウェプトオーヴァーボードはエンドスウィープの直仔だから、ラインクラフトとは4分の3姉弟という間柄になる。
02年にエンドスウィープが11歳で急逝。その後継馬として社台グループが03年に導入したのがスウェプトオーヴァーボードで、フロレンティーノは父にとって4世代めの産駒の1頭ということになる。
06年2月8日にノーザンファームで生まれたフロレンティーノは、同年7月11日に行われたJRHAセレクトセール当歳セッションの初日に上場され、1億4千万円でダーレー・ジャパンが購買。06年の全米年度代表馬インヴァソールらを手掛けた東海岸のトップトレーナー、キアラン・マクラフリン厩舎の一員となった。
フロレンティーノのデビューは2歳の8月23日で、サラトガのダート6fのメイドンに出て9頭立ての5着に敗退。続いて9月20日にベルモントパークで行われたダート7fのメイドンが10頭立ての8着、10月15日にキーンランドで行われたオールウェザー7fのメイドンが12頭立ての8着と、はっきり言ってここまでは期待を大きく裏切る結果だった。
ここで一息入れ、立て直しが図られることになったフロレンティーノ。マクラフリン師が冬場の本拠地としているパームメドウズ・トレーニングセンターの芝コースで調整を積まれ、初めて芝の実戦を走ったのが、ほぼ3か月振りの出走となった1月10日のレースだったのだ。父も、母の父サンデーサイレンスも、現役時代はダートの一流馬だったが、そこは何と言ってもラインクラフトの弟である。祖母ダイナシュートは京成杯3歳Sなど芝の重賞3勝。叔父にGI高松宮記念勝ち馬アドマイヤマックスがいるという牝系は、明らかに高い芝適性を示しており、そんな血統背景を反映してフロレンティーノも芝で一変することになった。
このまま無事に出世し、セクレタリアートSを狙うような馬になって欲しいものだ。
ちなみに、フロレンティーノが勝ったメイドンの2着馬ミコシ(父オリエンテイト)は、日本人所有馬だ。母ツルガオカマツリが、日本生まれのジェイドロバリー産駒という、日本血統である。
09年は、日本調教馬の国外における活躍に大きな期待がかかっているが、馬名のうしろのJPNの3文字が入った馬が世界各地で好成績を挙げることにも、同様の大きな期待をかけたいと思っている。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。