2009年01月13日(火) 18:58
ここ数年、1月の第2週目はずっとシンザン記念に出かけている。浦河で開催されているシンザンフェスティバルで選出されたミスシンザンの2人がシンザン記念の表彰式のお手伝いをさせていただくことになっており、その随行員としての出張である。
以前は浦河町役場職員なども同行していたが、近年の緊縮財政のおかげで、今年の遠征はフェスティバルの実行委員4人とミスシンザン2人の計6人のみ。折からの低気圧接近により天候の急変が心配されたが、10日(土)午前7時50分、無事に千歳空港から関西空港に向けて出発できた。
西日本から北海道まで、主として日本海側を中心に大雪に見舞われたこの日、海の上に作られた関空も例外なく寒かった。気温はおそらく3度くらいのものではなかったか。北海道と大差ないくらいの冷気に驚きながらも、まずJRで京都へ。前日のこの日はそのまままっすぐ競馬場に向かい、打ち合わせを行なうのが通例になっている。
今回のミスシンザンは小田尚子さん、山本麻衣さんの2人。競馬場に到着すると、到着の挨拶回りや取材(日刊スポーツ新聞社、シンザン記念は同社から社杯が出ている)などのスケジュールをこなす。毎年、私たちのために提供されている控え室は、競馬場の最上階にあるゴンドラの一室で、コースを一望できる「VIP席だ。さっそく、手の空いた随行の実行委員たちは馬券購入を開始し、僅かながらでも売り上げに協力することになった。
この日は結局、最終レースが終わるまでここで過ごし、打ち合わせも終了したのでタクシーにて京都市内へ戻った。宿泊は河原町三条にある京都ロイヤルホテル。競馬場へのアクセスを考えたら京都駅周辺の方が便利なのだが、観光にはここの方が適している。繁華街のど真ん中にあり、賑やかな一角に位置するこのホテルがここ数年の定宿である。
ともあれ、「遊び」はさておき、あくまでも優先しなければならないのは、シンザン記念での表彰式だ。翌11日(日)は、天候こそ回復したものの、やはり気温はかなり低く寒い一日だった。
午前10時前から競馬場入りしたミスシンザンは、テレビ出演(KBS京都)と本番(表彰式)に向けてまず打ち合わせを行い、昼食の後はほぼ休みなく“仕事”に追われる。
テレビ出演では毎年、「推奨馬を選定しておくようにとの指示があり、今年は地元浦河の生産馬が一挙に6頭も出走したので目移りするほどであった。結局、小田さんはピースピース、山本さんはモエレエキスパート(これは隣の新ひだか町の生産だが)を選び、ゲスト出演した番組の中でそれぞれ「意中の馬を披露した。
いよいよシンザン記念が近づいてきた。コースの外埒沿いに立つと、やはり寒さが一入である。レースは直線でダブルウェッジとの競り合いを首差制した2番人気のアントニオバローズ(父マンハッタンカフェ、牡、青鹿毛)が優勝した。2着ダブルウェッジと3着トップカミングがともに人気薄だったため、高配当となったのは周知の通り。とはいえ、この2頭は浦河産馬で、買い方によっては、三連単27万円馬券をゲットできたかもしれないのだが…。
ミスシンザンはプロのコンパニオンに混じり、表彰式で花束贈呈のお手伝いを予定通り行い、大役を務め終えた。
さて表彰式に参列しながら、今回は勝ったアントニオバローズを管理する武田博調教師の表情を見続けていた。ご存知のように、シンザンは師の父である故武田文吾調教師が管理していた馬で、武田博師も騎手時代に4度騎乗経験がある。現役時代のシンザンを知るファンの年齢がかなり高くなり、ほとんど伝説の馬になりつつある昨今、こうしてもっともシンザンに縁のある人の管理馬が優勝したことに拍手を送りたいと思う。
アントニオバローズの生産者は、新冠町・前川隆範氏。まだ荒削りの印象が強い馬だが、潜在能力は高そうだ。2007年7月のセレクションセールにて1470万円で落札された馬で、日高の生産者にとっても喜ばしい結果であった。このレースの優勝馬がなかなかクラシックに繋がらない一面は否定できないのだが、アントニオバローズがそろそろジンクスを破ってくれる存在になるか。歴代優勝馬には、タニノギムレットやシーキングザパールといった名前もあり、GIへの道が完全に閉ざされているわけではないのだから。
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田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。