2009年02月17日(火) 23:59
屈腱炎による28か月半に及ぶ休養を乗り越え、昨年12月のジャパンCダートで33か月半ぶりとなるGI制覇を果たしたカネヒキリ。そのJCダートを皮切りにGI・3連勝を果たした彼が、あのディープインパクトやシンボリルドルフらを上回る通算GI・8勝の大記録に挑む、今週末のフェブラリーSにおけるレース振りに、おおいなる注目が集まっている。
奇しくも欧州でも今季、25か月という長い空白を埋めてG1制覇を果たし、悲願だった通算10個目のG1を手中にした馬が出現し、話題となっている。
愛国で、今や国民的と言っても過言ではない人気を博している競走馬の名を、ブレーヴインカ(セン11歳)という。1998年4月に愛国で生まれたブレーヴインカは、4歳春にコルム・マーフィー厩舎からハードラーとしてデビュー。初勝利を挙げるまで5戦、期間にして初出走からほぼ1年を要するという遅咲きであったが、一度勝つ味を覚えてからはトントン拍子の出世を遂げ、6歳2月にレパーズタウンのG1デロイット・ノーヴィスハードルを制して重賞初制覇を果たし、ハードル界のトップホースの仲間入りを果たした。その後も、地元愛国と英国を行き来しつつ実績を積み重ね、8歳を迎えた06年3月にはハードル界の最高峰と言われるチェルトナムのG1チャンピオンハードルを手中にし、欧州ハードル界の頂点に君臨することとなった。
続く06年/07年も、アイリッシュ・チャンピオンハードルを含めてシーズン前半から中盤にかけて3つのG1を制し、通算G1勝利数が9にのぼったブレーヴインカだったが、ここからが彼にとって苦難の日々の始まりだった。
07年のチャルトナム・チャンピオンハードルで、サブリミティーの2着に惜敗して連覇を逃すと、パンチェスタウンのG1チャンピオン・ステイヤーズハードルでは、距離不向きだったか、堅実なこの馬にしては珍しく6着と大敗を喫した。
シーズンを不本意な成績で締めくくることになったブレーヴインカに、最大とも言える試練が訪れたのが、07年/08年シーズンへのトレーニングを本格化させた矢先の07年8月だった。左前脚に炎症を起こし、獣医師の診断を仰いだ結果、屈腱炎を発症していることが判ったのである。結局ブレーヴインカは07年から08年にかけて、丸々1シーズンを棒に振ることになった。
08年/09年シーズンの半ばには11歳になるブレーヴインカ。既に功成り名を遂げた馬だけに、進退を迷うところもあったろうが、カネヒキリの陣営同様、ブレーヴインカの陣営も諦めなかった。
08年11月30日、フェアリーハウスを舞台としたG1ハットンズ・グレイスハードルで、実に19か月振りにターフに復帰。この日のレーシングポスト紙の寸評を見ると、“…..can hardly be expected to be at a peak of form in the circumstances.(様々な状況を鑑みれば、全盛期の力を発揮することを期待するのは、ほとんど不可能)”と書かれてあったのだが、蓋を開けてみれば1番人気に推されていたキャッチミーの2着に好走。この馬が持つ底力と心身のタフさを存分に見せつけ、競馬ファンの度肝を抜いたのであった。
復帰2戦目となった08年12月29日にレパーズタウンで行われたG1ディセンバー・フェスティヴァルハードルで3着になると、年が明けた1月25日、11歳となったブレーヴインカはレパーズタウンで行われたG1アイリッシュ・チャンピオンハードルに出走。07年のチェルトナム・チャンピオンハードルで苦杯をなめさせられたサブリミティーらを退けて優勝し、06年12月のアイリッシュ・チャンピオンハードル以来25か月振りとなるG1制覇を飾ったのであった。
これで、デビュー以来の戦績を33戦15勝としたブレーヴインカ。障害戦を33回走って、落馬はたったの1度のみ。レースで走破した通算距離が70マイル以上になる彼の次走は、3月10日に行われるG1チェルトナム・チャンピオンハードルの予定だ。3年ぶりにハードル界の頂点を目指すブレーヴインカの次走に注目したい。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。