2009年04月01日(水) 00:00
多くのものを手に入れようと貪(むさぼ)るこころ際限なく、つい愚かな行為に走ってしまうのが私ども人間。この誰しもが持っている煩悩(ぼんのう)は始末が悪い。手に入らないと、弱いこころがあらぬ行為へと走らせる。傷つき傷つけあうことだって起こる。
この煩悩に囚われる自らを超えるのに、競馬の果たす役割は大きいと思ってきた。いくら多くを手に入れようとしても、競馬はそれがたやすいことではないと教えてくれるのだ。
それも、深刻にではなく、遊びの中にこころを解き放ちながらである。こんな愉快なことはないではないか。
いくら頑張っても煩悩は消し去ることができない。大切なのは、それによって不都合が生じないようにすることで、競馬は端的にその世界に導いてくれている。
競馬ほど独り善(よ)がりな見方を振りかざしても許されるものは少ない。存分に自己を発揮してもいいのだから。それでも、自分の意志を誰かに強要することはないから、支障はない。ただ、不確かなものに立ち向かう空しさを教えられ、冷徹に自分をみつめ、たまに思いどおりにいったとしても、それが幸運によるものと強く感じ入るのだ。
ひとり密かに、実に謙虚なのだから、こんなピュアな自分はとまで感心させられる。
人間は、いかなることにも馴れる動物だから、この競馬での繰り返しこそ、正に貴重な体験であり修行でもあるのだ。ただひたすら謙虚になることが出来たら、それこそ立派な競馬ファンであり、人として、一段高い所に上がることが出来たと思っていいだろう。
多くのものを手に入れようと競馬の中に貪りを持とうとも、それはそれでいいのだから、思い存分、安心してチャレンジできる。ただし、それがたやすいことではないと十分に知っていることが前提にあり、それさえクリアしていれば、競馬のキャリアは、そのまま生き抜く心の糧となっていける。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。