2009年04月22日(水) 00:00
四季の移ろいに思いを馳せるとき、クラシックレースを戦う若駒たちにもそんな景色を見てきたような気がする。
桜の花は真っ盛りを、月は曇りのない満月をのみ見るものであろうかと、永井路子さんの現代訳「徒然草」に書かれてある。いまにも咲いてしまいそうな頃合い、しおれた花の散る公園などにも見どころがあるし、情趣のわかる人間なら、その時々に詩情豊かなものを感じるはずだ。すべてに、始めと終わりがあるのだから、その移ろいを味わう心は持っていたい。
同じことが競馬にも言える。特に、一生に一度しか戦うことのできないクラシックレースには、儚さが漂う。そこを目指す一戦一戦、首尾よくステップを踏めるものは限られている。それでも、どれもが最大限の力を出し切って走っているのだ。しかもどれもが、過大な期待を背負わされている。その馬たちの目線に立つならば、その必死の様子の中に心打たれるものを感じるのだが、人の心はなかなかそこまではいかない。ただただ、ひたすらに勝ち進むものにのみ目を奪われているのだ。かげりもなく照り輝く月が好きで、はるかに遠い彼方を思いやるというよりも、やっと見ることのできた月にだけ心が動くのだ。そして、その満ちる月も、やがて欠けていくことで、他に心を移していく。
花だって同じこと。真っ盛りに向かっていくときは、この心も躍るのだが、いつまでもその思いが続くはずもなく、花の終わりを感じると次なる花に心を移しているのだ。
春のクラシックシーズンには、勝ち進んで人気の頂点に立つものが出てきたとしても、それがいつまでも続くことは稀だ。なにかに取って代わられると、躊躇なく人の心はそちらに移っていく。
四季の移ろいにも似たクラシック戦線を情趣あるものとするために、その移ろいを味わうゆとりを持ちたいと思っている。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。