2009年06月17日(水) 10:50 1
6月中旬になると北海道内の小学校ではほぼ一斉に運動会が行われる。
少子化と過疎化により日高ではどの学校も児童数の減少に悩まされており、近年は決まって年度末には小中学校統廃合の話題がニュースで流れるようになった。小規模校が生き残れない環境になりつつあり、先頃には新冠町内の閉校の決まったいくつかの小学校がネットで売り出される事態にもなった。
仄聞するところによればそのうちの一つは「美術館」として生まれ変わる計画という。そういう形の再利用ならばまず問題はなかろうが、広い北海道の中には閉校もしくは休校したまま手付かずの状態になっている校舎もあるはずだ。なんとも困った時代になったものである。
さて、いささか前置きが長くなった。小規模校にとっては確かに受難の時代になりつつあるが、その環境を逆手に取った独自の教育に力を注いでいる小学校も数多くある。浦河町立野深(のぶか)小学校もそんな個性ある小規模校である。
ここには学校の敷地内でポニー2頭が飼育されている。今を去る13年前(H8年)、子供たちに馬に接する機会を作りたいという保護者の熱意が実を結び、学校にポニーがやってきた。当初は間に合わせの小屋と狭いパドックで管理されていたが、その2年後、校舎横に放牧地を確保し、PTA総出で厩舎と牧柵を完成させ、現在のスタイルとなった。
何頭か入れ替わりがあり、今は「クッキー」と「タイヨウ」の2頭が在厩している。所有は学校ではなく、あくまで個人。それぞれの“馬主”がいわば学校に所有馬を“預託”しているようなものだ。ただし預託料はなし。生きた教材として無料提供している、と表現した方が分かりやすいか。
日々の管理は教師と児童が行う。休日や夏休みなどには保護者も手伝う。厩舎内にある馬房の中や放牧地のあちこちに落ちている「ボロ」を拾い、水桶の飲み水を替え、2頭をブラッシングする。児童の登校日には「馬当番」が決まっており、交代でこの作業を行う。厩舎の入り口は通年開いており、ポニーは自由に出入りする。風雨の強い日や寒い日は厩舎に入り、天候が回復すると外に出る。また、12月~4月の5か月間は、学校の近所に住む民間人にポニーの管理を委託しているという。この期間は青草がないため、乾草を与えることになる。
今はちょうど青草が最も生え揃った時期で、サッカーコートが十分に確保できるほどの広大な放牧地にわずか2頭のポニーだけでは正直なところ栄養過多になる心配をしなければならないくらいだ。恵まれ過ぎていると言っても差し支えない環境に2頭が暮らしている。
この野深小学校にいるポニーが最も脚光を浴びるのが毎年6月に開催される「運動会」である。この小学校では、開会式の際の入場行進に児童がポニーに乗って登場する場面が用意されている。平成13年より始まったというこの馬上入場行進の栄誉に浴するのは、その年の児童会長と紅白それぞれの組の団長の計3人。
わざわざこのために、保護者2人が自分の牧場で飼っているポニーを1頭ずつ連れて来て、小学校にいる「タイヨウ」と合わせて3頭が今年も入場行進の主役を務めた。
鞍やハミ、ゼッケンなどの馬具は歴代の保護者たちから寄贈を受けたりして揃えたもの。6月13日、あいにく小雨の降るコンディションの中、「第22回野深小学校運動会」の開会式が始まった。児童数48人が紅白2チームに分けられ、ポニー(に騎乗した団長)を先頭に1人ずつ行進してトラックを一周する。おそらく、日本広しと言えども、運動会の入場行進に「本物の馬」が登場する小学校はちょっと他に例がないのではあるまいか。なお「第22回」とまだ歴史が浅いのは、昭和63年に二つの小学校が合併し、現在の野深小学校が新たに発足したからである。
とはいえ、この22年間でも、児童数は84人からおおよそ半分近くにまで減少しており、今後も更に減り続けて行くことが予想される。児童数の減少は当然のことながら保護者世帯数の減少でもあるわけで、とりわけポニー飼育に関しては年々それぞれの負担が増して行くことにも繋がる。
しかし、「何とか伝統を継承して行きたい」と考える熱心な保護者も多く、また学校側も子供たちの生きた教材としてポニーの存在をことのほか重視しており、こうした関係者の熱意に支えられて今後も「運動会のポニー入場行進」が続くことを願うばかりだ。
田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。