2009年06月23日(火) 23:59
6月19日(金曜日)、アメリカ競馬の総本山とも言うべきケンタッキー州チャーチルダウンズ競馬場で、134年に及ぶ歴史上で初めてとなるエポックメーキングな出来事があった。この競馬場における初めてのナイトレースが、煌々と輝く照明施設の下で行われたのである。
午後6時に第1レースがスタート。サマータイムが導入され、なおかつ1年で最も日の入りが遅いこの時季、チャーチルダウンのあるルイヴィル一帯は第7レースがスタートした午後9時頃までは太陽光の残照があり、昼間の開催、もしくは、85年から施行されてきた薄暮開催用の照明の下でレースは行われた。だが、9時40分発走の第8レースに出走する馬たちが本馬場に姿を現す直前に、この日のために設置されたムスコ社製の照明が点灯。全米における数々のスポーツイベントやコンサートの会場を照らしてきた灯りがチャーチルダウンズのダートコースに照射され、いよいよ本格的なナイトレースがスタート。11時11分発走の第11レースまで、幻想的な雰囲気の中の競馬を、ファンは楽しむことになった。
チャーチルダウンズにとって、ナイトレースの開催は長年の懸案だった。04年から05年にかけて、1億2100万ドルを投じて施設の大改修が行われた際にも、主催者サイドにはナイトレース開催のプランがあり、照明の導入が検討された。だがこの時には、費用がかかりすぎるという理由で、導入は見送りに。
ところがその後、景気悪化を主な要因として、入場人員や馬券売り上げが減少。何か手を打つべしということになり、今年に入って再燃したのが照明設置の話だった。
世界に主要競馬場では近年、施設を使って競馬以外のイベントを催すのが一般的になっており、あの保守的な英国でさえ、ニューマーケットやアスコットでコンサートを催して、ともすれば競馬以上の観客動員を実現していた。チャーチルダウンズでも、06年に行ったローリングストーンズ、07年に行われたポリスなど、金曜夜のコンサートが大好評を博したことから、「金曜の夜は客が呼べる」という考え方が生まれ、それならナイトレースをやろうじゃないかと照明の設置が急遽決定し、この日を迎えることになったのである。
主催者サイドは、6月15日(月曜日)と16日(火曜日)の早朝、日の出時刻のかなり前から馬場を開放し、照明施設の下での調教を実施。19日に出走を予定していた各馬に、照明に慣れる機会を与える一方で、調教に立ち会った調教師や騎手から意見を聴取し、不自然な場所に不自然な影が出来たりしないよう、一部で照明の角度を修正するなどの対応がとられた。
チャーチルダウンズは、オークスデーとダービーデー以外は観客動員数を発表しないのが慣例となっており、この日の公式な入場人員は不明だが、デイリーレイシングフォームなどの報道によると「3万人以上」が来場。主催者側は「1万5千人から2万人」と踏んでいただけに、予想を大きく上回る大盛況で、しかもナイトレースのオープニングデーとなったこの日は、通常なら3ドルの入場料を3倍以上の10ドルに値上げしていたから、収入的にも大幅な増収になったと見られている。
チャーチルダウンズの春開催は7月5日に閉幕するが、今後も6月26日(金曜日)と7月2日(木曜日)の2度にわたって、ナイトレースが施行される予定(入場料6ドル)だ。この時季にケンタッキーにお出かけの競馬ファンがおいでになったら、ぜひ夜のチャーチルダウンズに立ち寄られることをお勧めしたい。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。