2009年06月24日(水) 00:00 0
日高では刻一刻と生産者の平均年齢が上昇しつつあり、この傾向はたぶん今後もしばらく変わらないものと思われる。もちろん人間は誰しも年を取るものだが、以前には子供が家業を後継するのが当たり前で、日高の牧場の多くがそうして代を重ねてきた。
しかし、そのサイクルがこのところ大きく変わってきている。子供がいても後を継がないケースが続出しているのだ。その結果、当主の年齢が高くなればなるほど生産からリタイアする例が増えている。進行する高齢化の分だけ休業もしくは廃業に追い込まれる牧場もまた多くなるわけで、これも今の日高の不況を端的に反映している。
それとともに、近年目立って増えているのが和牛の頭数だ。馬のいた牧場が、ある年を境に「厩舎」を「牛舎」に改造して和牛生産を始める実例があちこちに見られる。アラブの生産はほぼ壊滅し、サラブレッド生産もこと日高に関しては頭打ちとあっては、手っ取り早く土地や施設をそのまま流用できるのが和牛生産なのである。
実際にそれを奨励してきたのが地元農協や町役場などで、繁殖牛の導入に際して様々な融資制度などを拡充し、盛んに後押しをしてきた。馬に見切りをつけた元軽種馬生産者もいれば、依然としてサラブレッド生産を続けながらも、和牛を馬と一緒に繋養する「兼業牧場」もある。形態は様々だが、このようにして日高の各地でそれまで馬のいた放牧地に新たに和牛が放されるようになった。
しかし、和牛は相次ぐ飼料代の高騰と市場価格の低迷によって収益性が悪化してきている。サラブレッドのように市場で売れ残ることはないものの、何せ価格が安く、儲けがなかなか出ない。加えて、繁殖牛の粗飼料の確保や糞尿の処理など、馬とはまた違った苦労や問題がついて回る。単価がそもそも安いので、いきおい多頭数を繋養せざるを得ず、そのために規模が大きくなればなるほど牧草の確保に頭を悩ませることになるという。
できることなら、馬の牧場は馬のままで今後もやって行きたいと多くの牧場主は望んでいる。近隣に増えつつある和牛農家(元軽種馬生産牧場の)を横目で見ながら、「とてもあんな仕事はできない」とおそらく考えている。だが、馬の生産はもうそろそろ体力的にも限界に近づきつつあり、今後の見通しもない。息子は地元を出てすでによそで違う仕事に就いており、帰ってくる予定もない。だいいち帰って来られても、この景気ではとても後を継がせることなどできない…。そんな八方塞がりの状況にある牧場がかなりあるのではなかろうか。
そこで一つの提案がある。「養老牧場への転換」である。引退功労馬と言い換えても良い。今の日本では現役を引退した馬が余生を送る施設はひじょうに少なく、決して十分ではない。だが、競走馬のみならず、乗用馬でも必ず年を取っていつしか現役を引退する日が来る。多くは処分される運命にあるが、もしどこかでこの馬を繋養してもらえるのならば多少の費用がかかってもそうしたいと希望する“馬主”がたぶん一定数は存在するはず。
しかし、相手は馬だからどこでも繋養できるわけではない。犬猫と決定的に異なるのはその部分で、様々な制約を考えたら、現時点で最もその条件を満たしているのが日高なのではあるまいか。
日高はまずいつでも受け入れられる牧場が多数ある。そして、獣医師、装蹄師、馬具屋、飼料会社その他の関連業務に従事する人々も多い。馬を飼うのに最も適している土地である。気候もまた、夏は涼しく冬も比較的温暖で、引退馬にとっては快適に過ごせる場所でもあるはずだ。
現時点での問題は、そうした引退功労馬を「預けたい側」と「預かる用意のある牧場」との間を取り持つ窓口がないことだろう。自分の馬をどこかに預けたいと思っても、ネットで検索してそれぞれが個別に打診し預け先を探す以外に方法がなさそうなのだ。しかし、ネット検索で引っかからないような牧場もあり、そこを何とかカバーできるような窓口があれば良いと考えている。
日高の「馬のいる景観」を守るためにも、生産や育成とはまた違う形態の馬の繋養について考えてみたいと思っている。
田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。