2009年09月22日(火) 23:35
9月14日から2週間の予定で、アメリカのケンタッキーで開催されている「キーンランド・セプテンバーセール」のマーケットが、大変なことになっている。日程のちょうど半分を終えた9月21日の時点で、総売り上げが前年比で42.4%ダウン。平均価格が前年比33.6%ダウンで、中間価格が前年比35.0%ダウン。そして前年24.7%だったバイバックレートが、今年は30.5%と、主要な指標が全て大幅に悪化。クラッシュと呼んで差し支えがない大暴落となっているのだ。
総売り上げ、平均価格、中間価格は、いずれも06年をピークとしてこれで3年連続のダウン。一方、バイバックレートは05年をボトムにして4年連続での上昇となることが確実な情勢だ。後半もマーケットがこのまま推移すれば、総売り上げは11年振りに2億ドルを割り込む危険があり、平均価格ともども、99年以降では最低水準に。中間価格は90年代中盤の水準まで落ち込み、バイバックレートは手元に記録のある84年以降で最低を記録すること確実という、関係者にとっては目も当てられない状況となっている。
ことに悲惨だったのがトップエンドの市場で、初日・2日目のセレクトセッションに限れば、総売り上げが48.2%ダウンと、前年のほぼ半額に減少。前年は18頭いた100万ドル超えのミリオンホースが、今年はわずか4頭に激減と、高い方のマーケットが完全に空洞化。だからと言って、中間以下の価格帯における下支えが強いわけでもなく、セレクトセッション終了時には前年比で28.3%ダウンだった中間価格が、前述したようにセール前半を終えた時点では前年比で35%ダウンまで悪化しており、中間以下の価格帯でも需要が薄いことを示している。
リーマン破綻をきっかけとした世界同時金融危機のあおりを受け、昨年秋以降に開催された競走馬市場はどこも下落していたが、8月上旬にサラトガで開催された「ファシグティプトン・サラトガ・イヤリングセール」が、総売り上げ、平均価格、中間価格がいずれも大幅に前年を上回るという予想外の反転に出て、なおかつ、続いてフランスのドーヴィルで行われた「アルカナ・オーガスト・イヤリングセール」でも、平均価格、中間価格が前年を上回る数字を記録。
更に、リーマンショック直後に4年振りに1万ドルを割り込み、今年3月には6469.95ドルまで落ち込んだダウ工業株価が、セール直前の9月10日には年初来の高値を更新して9627.48ドルまで回復。景気は底を打ったという見方が広まっていただけに、セプテンバーの指標は多くの関係者にとって衝撃的なものとなっている。
生産者たちの窮状は、言うまでもなく深刻だ。今年の1歳世代は、まだまだ生産コストが高かった時代の産物である。単価が高かっただけでなく、生産頭数も過剰と言われるほど多かった時代で、つまりは元手が非常に嵩んでいるにも関わらず、回収するべき時期が来たら馬が売れず、売れても原価割れでは、生産者はたまったものではない。前述したように、セプテンバーセールの下落は3年連続のことで、生産者の経済的体力も相当落ちてきていることが予想されるだけに、今後の馬産地が心配である。
逆に、購買者側から見れば、お買い得感満載の市場である。日本人によると見られる購買も、セール前半を終えた段階で、平均価格127,437ドルで16頭と、平均価格103,181ドルで11頭だった前年を、価格も頭数とも上回ることになった。このところ海外市場における外国産馬の購買に消極的だった日本人だが、市場の「買いやすさ」がダイレクトに反映された結果と言えそうだ。
その日本人購買馬には、母がG1ケンタッキーオークス2着馬サンタカタリーナの牡馬(父モンジュー)、母がG1アップルブロッサムH勝ち馬ドリームオブサマーの牡馬(父アンブライドルズソング)、G1モルニ賞やG1フィーニクスSを制したファスリエフの妹(父ヨハネスブルグ)など、良血馬が目白押しである。これらがいずれも30万ドル以下の価格で購買されているのだから、費用対効果抜群の買い手市場である。
このあと10月に入ると、欧州最高の1歳馬市場「タタソールズ・オクトーバーセール」が英国のニューマーケットで開催されるが、外国産馬を導入するには絶好の機会到来と言えそうだ。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。