2009年11月24日(火) 00:59
今年のジャパンCを占う上でのポイントは、コンデュイットが本来の能力を出せる状態にあるかどうか、この1点に尽きるように思う。
ジャパンCを勝つ「能力」と日本競馬への「適性」において、この馬が申し分のないものを持っていることは間違いない。
今季の欧州中距離路線にはシーザスターズという怪物がいて、この馬とは2度戦い、10f7yのエクリプスSで5馬身半、2400mの凱旋門賞では2馬身半遅れをとっている。つまりは、シーザスターズとの間には覆しがたい力の差があったのだが、逆に言えば、近年最強の怪物と戦って、大きくは負けないところには常に来られる馬と、明言出来るだけの実績は残している。BCターフ連覇というのも、並みの馬に出来る芸当ではない。
日本でやるジャパンCでは日本馬が強いことは重々承知だが、一方でコンデュイット級の馬の来日はここしばらく無かったことだ。また、今年の日本馬が悪いメンバーではないことも確かだが、一方で、現在の日本の芝2400m路線にはディープインパクトやエルコンドルパサーといったワールドチャンピオン級の馬がいるわけではない。能力的に、コンデュイットで充分勝負になる組み合わせと判断する。
コンデュイットが、欧州では固めの馬場を得意としていることは、既によく知られている。重賞初挑戦となった、3歳6月のキングエドワード7世Sは、馬場発表が”Firm”。英国をはじめ欧州では、好天が続いて馬場が固くなると、びっくりするくらい散水して、少なくとも“Good to Firm”あたりまでは馬場を柔らかくするのが通常だ。キングエドワード7世Sはロイヤルアスコットを舞台としたレースで、アスコット競馬場も相当に水を撒いたのだが、それでも気象条件の綾で、昨年は「この開催がこんな馬場で行われたことはない」と言われたほど固い馬場になり、実際に、セントジェームスパレスSは、トラックレコードでの決着となった。固い馬場が苦手な馬が、2着に来られる条件ではなく、コンデュイットは間違いなく日本の馬場に合っている馬と言えよう。
また、コンデュイットの最大の長所は瞬発力があることだ。3完歩あればトップスピードに乗ることが出来ると言われているから、器用さを求められる競馬にも対応できるはずで、そういう面でも日本の競馬に向いているタイプと見てよかろう。
「能力」が高くて「適性」があれば、問題は「調子」だけである。
名伯楽マイケル・スタウトが連れてきた以上、大丈夫と考えるのが本筋。また、7月25日にキングジョージを走った後、10月4日の凱旋門賞まで間隔を空け、凱旋門賞はぶっつけのローテーションとなったのも、明らかに凱旋門賞以降の連戦を意識したもので、シーズン終盤ではあるが、充分に余力を残しての来日と見るのが妥当である。
だがその一方で、いささか気懸かりな要素もあることは確かだ。
まず、今年はブリーダーズCの開催が例年に比べて1週遅く、ブリーダーズCとジャパンCの間隔が、日本式で言うところの「中2週」となっている。詰まった日程の中で、カリフォルニアに出向き、激走の後に本国に帰り、再び日本へやって来るという過程を踏むことが、馬の負担となっていないかは、じっくり見極める必要があろう。
来年から日本で種牡馬として繋養されることが決まっているため、繋養先のビッグレッドファームが仕掛けた「顔見世興行」のように捉える向きもあるが、これは事実に反する。現役で走っているうちは、コンデュイットはオーナーブリーダーであるバリーマコール・スタッドの所有馬だ。ローテーションに関して、日本サイドが「要望」を出すことは出来ても、決定権はなく、どこを使うかを決めるのはバリーマコールである。
今季キングジョージとBCターフを勝っているコンデュイットは、ジャパンCに勝てば1億3千万円、2着でも5200万円、3着でも3250万円のボーナスを、JRAから支給されることになっている。これは、バリーマコール側にしてみれば、実に魅力的なインセンティヴだ。
一方、種牡馬の話が未定であれば、ここで無様な競馬をすれば、馬の価値が下がるという危険性があるが、既に種牡馬の契約がまとまっている以上、バリーマコール側にジャパンCを使うリスクは無い。
インセンティヴがあってリスクがないとなれば、一般論で言うなら、馬の状態を見極める以前に遠征プランが決まっておかしくない。
しかして、いつも以上に、コンデュイットの状態には気を配りたいのである。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。