2009年12月15日(火) 00:59
アメリカン・グレーデッド・ステークス・コミッティー(北米重賞競走委員会)から、来年度の重賞格付けが発表され、3レースのG2からG1への昇格する一方、5レースがG1からG2に降格となることが明らかになった。
昇格するのは、春にアーカンソー州のオークローンパークで行なわれる3歳戦アーカンソーダービー、夏のサラトガを舞台に行なわれるスプリント戦アルフレッドヴァンダービルトH、秋後半にチャーチルダウンズで行なわれる9F戦クラークHの3レースだ。アーカンソーダービーは、ケンタッキーダービーへ向けた米国中西部の最終プレップと位置付けられているレースである。81年に従来のG2からG1に昇格し、88年までの8年間はプレミアグレードの重賞として行われていたが、その後出走馬の水準が低下し、89年に再びG2に降格となっていた。主催するオークローンパークは、再昇格を目指して出走メンバーの充実に努め、04年には同じオークローンパークのレベルSとアーカンソーダービーを連覇した馬が、ケンタッキーダービーを制した場合、500万ドルのボーナスを支給することを決定。この年早速、スマーティジョーンズがハットトリックを達成して、ボーナスを手にすることになった。その後も、05年にはアフリートアレックス、07年にはカーリンといった強豪が、ここを制した後に3冠路線で活躍。レベルが再び向上し、このたび12年振りのG1復帰を果たすことになった。
元来は、アフェノメノンHというレース名で85年に創設されたアルフレッドヴァンダービルトH。90年にG3の格付けをもらい、5年後の95年にG2に昇格。そして15年後の10年には遂にG1として行なわれると言う、出世魚のようなレースである。著名なオーナーで、70年にはニューヨーク競馬の統括機関であるNYRAのチェアマンも務めたアルフレッド・グウィン・ヴァンダービルト2世が99年に他界したのを受け、00年から現在のレース名に改められた。ちょうどその頃から、出走メンバーが益々充実しはじめ、02年にはオリエンテイトが、04年にスパイツタウンが、同じ年の秋にBCスプリントを制して全米スプリントチャンピオンの座に君臨。その後も実績を積み上げて、G1昇格を勝ち取ることになった。
一方、G1とG2の境界線にあって、このところ浮沈を繰り返しているのが、クラークHだ。創設されたのがケンタッキーダービーと同じ1875年だから、来年の施行が136回目となる伝統のレースである。73年のグレード制導入からしばらくはG3として挙行されていたが、98年に初めてG2に昇格。その後も、シルヴァーチャーム、リドパレス、セイントリアムといった大物が歴代優勝馬のリストに名を連ねてゆき、06年にはG1の座に上り詰めている。ところが、G1になった途端に水準の低いレースが続き、08年にはたった2年でG2に逆戻り。すると再び好メンバーが集まるようになって、08年にはG1・2勝のコメンテイターらを退けてG1・5勝馬アインシュタインが優勝。再びたった2年でG1に戻ることになった。
なお、08年に創設されたBCターフスプリントとBCジュヴェナイルフィリーズターフが、10年からは新たにG2に。同年創設のBCマラソンはG3に格付けされることも、あわせて発表された。一方、G1からの降格組は、春のサンタアニタで行なわれる古馬の牝馬戦サンタマリアH、夏のデルマーを舞台した芝の牝馬戦ジョンメイビーH、夏のサラトガを舞台とし3歳牝馬戦ゴーフォーワンドH、秋のハリウッドパークで行なわれる芝の重賞サイテーションH、そして秋にローレルで行なわれる短距離戦フランクデフランシス・メモリアルダッシュの5レースだ。
クラークH同様、昇格と降格を繰り返しているのがサイテーションHだ。90年代に入って水準が向上してG1まで出世したものの、ここへ来てメンバーが揃わず12年振りのG2降格となるのがフランクデフランシス・メモリアルダッシュである。一方、長年堅持してきた最高格付けを失うことになるのが残りの3レースで、サンタマリアHは89年以来20年振り、ジョンメイビーHは84年以来26年振り、ゴーフォーワンドSにいたっては81年以来30年振りに、来年はG2での施行となる。我が国日本でも、重賞格付けの変更はおおいに「あり」だと筆者は考えている。例えば、秋の府中を舞台とした毎日王冠などはGIでもおかしくはなく、あるいは、暮れの2歳重賞ラジオNIKKEI杯2歳Sなども、明らかにGIIIという格を超えた水準にあるレースである。
一方で、現状の格に相応しいとは言えぬ水準の重賞も散見されるだけに、アメリカのように毎年見直しを行なわれずとも、何年かに一度は重賞の格を更地から考え直すことがあっても良いように思う。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。