2010年01月12日(火) 23:59 0
1月元旦を尊び重んじるという概念において、海外の民は、日本に住む私たちほど強いものを持ち合わせていない。日本国外でも、広場に集まった群衆がカウントダウンを唱和してその瞬間を迎えたり、年明け最初に会った時には“Happy New Year”、”Bonne Annee”といった言葉を交わしたりはする。だが、年末をもって事を収め、除夜の鐘を聴き御来光を拝み、新しい年の到来とともに事を始めるという慣わしは、日本人特有の主観にもとづくものであろう。
初春を寿ぐ風習は無くとも、西暦の1月1日を区切りとする習慣はどこにでもあり、競馬の世界でも、北半球のほとんどの国で、12月31日をもって年次統計が閉められている。すなわち、各国で様々な分野のリーダーやチャンピオンが、その瞬間をもって誕生したわけだが、トップを巡る攻防が最もスリリングだったのが、北米におけるフレッシュマンサイヤー・ランキングだった。
日刊紙サラブレッド・デイリー・ニュースが用いている「エクワインライン」による集計では、12月29日の開催が終わった段階で首位に立っていたのはオフリーワイルド(父ワイルドアゲイン)で、BCジュヴェナイルフィリーズ優勝馬シービーワイルドらを輩出して、この日までに1,939,243ドルの賞金を収得していた。
これを僅差で追っていたのが、東海岸のG1シャンパンS勝ち馬ホームボーイクリスらを出したローマンルーラー(父フサイチペガサス)だ。12月30日にサンタアニタの第2Rに組まれた2歳一般戦を、産駒のタイニーウッズが制した段階で、収得賞金は1,939,951ドルに達し、わずか708ドル差ながら、オフリーワイルドを抜いて首位に立ったのである。
最終日の12月31日。ローマンルーラー産駒の出走予定はなく、一方オフリーワイルドは、フェアグラウンズの特別ルイジアナ・フューチュリティに、産駒ヘヴンヴィルを出走させていた。ここで5着までに入れば、オフリーワイルドの再逆転となる状況で、ヘヴンヴィルは3着に入って12,040ドルの賞金を加算し、最終的に収得賞金を1,951,283ドルとしたオフリーワイルドが、ローマンルーラーに11,332ドルの差を付けて、2009年の北米フレッシュマンサイヤーの差を確定したのである。
2006年に北米でスタッドインした種牡馬の中で、最も期待が高かったのは、04年に全米年度代表馬のタイトルを獲得したゴーストザッパーで、20万ドルという高額な種付け料を設定されての種牡馬入りだった。この他、05年の全米年度代表馬セイントリアム(初年度種付け料5万ドル)、良血のサンタアニタH勝ち馬ロックハードテン(同5万ドル)、2冠馬アフリートアレックス、(同4万ドル)らが鳴り物入りで種牡馬入りした中、彼らに比べれば地味めにスタッドインしたのが、オフリーワイルドだった。
現役時代の戦績、19戦6勝。3歳初戦にフロリダのG3ホーリーブルSを制して頭角を現し、前哨戦のG1ブルーグラスSで3着に入ってケンタッキーダービーに駒を進めたものの、ダービーでは12着に敗退。4歳6月にサフォークダウンズのG2マサチューセッツHを制して2度目の重賞制覇を果たすものの、素質が本格的に開花したのは5歳シーズンだった。05年4月にアケダクトで行なわれたG3エクセルシオールHを8.1/2馬身差で快勝。続くG1ピムリコスペシャルは馬場が向かずに大敗したものの、5歳7月にベルモントパークで行なわれた10fのG1サバーバンHを5.1/4馬身差で制して、念願のG1制覇を達成。その後にダーレーが購買し、06年春からジョナベル・スタッドで種牡馬入りすることになった。
3歳春から活躍していたものの、5歳夏にG1初制覇を果たし、どちらかと言えば「遅咲き」の印象があったオフリーワイルドだけに、フレッシュマンサイヤー戴冠は、いささか予想外の展開と言えそうだ。
もっとも、叔父に種牡馬として大成功しているダイナフォーマーがいて、祖母アンドーヴァーウェイはG1トップフライトH勝ち馬という血統背景を持つ同馬。自身がセプテンバーセールで325,000ドルで購買された、見た目も豪華な馬体の持ち主であり、種牡馬として成功する要素を備えていたことは間違いない。
なおかつ、同馬の配合表を見ると、ノーザンダンサーもミスタープロスペクターも持ち合わせていない。現在はやりの血脈とアウトクロスになるというのは、種牡馬としておおいなる強みである。
初年度15000ドルの種付け料で供用され、07年に71頭の初年度産駒が産まれたオフリーワイルド。このうち32頭が2歳時にデビューを果たし、17頭が勝ち上がっているというのは実に優秀な数字で、シービーワイルドだけのおかげで獲得したタイトルではないことを示している。産駒には当然のことながら成長力が伝わっているはずで、なおかつ、血統背景から芝での活躍馬を出す可能性もおおいにあり、今後が楽しみな若手種牡馬と言えそうだ。
合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。