2010年01月13日(水) 00:01 0
この時期、関西地方と北海道とでは、気温がだいたい10度ほども違う。京都競馬場に行くと、いつもそう思う。
恒例のシンザン記念出張に行ってきた。9日朝に千歳空港を飛び立ち、11日夜に北海道に戻った。2泊3日の旅である。
いつもならば昨年夏に選出されたミスシンザン2人を帯同し、表彰式に参列することになるのだが、今回は都合によりミス1人だけの参加で当人の重圧はかなりのものだった。ミスシンザンは平野唯さん(21歳)。地元の日高信用金庫に勤務している。
2日間にわたるスケジュールは、なかなかタイトである。前日9日は、競馬場入りした後、挨拶回りと日刊スポーツ社の取材を受ける。
今回は、なるべくミスの負担を少なくするために、シンザンフェスティバル実行委員長の中島雅春氏が取材やテレビ出演などすべてに立会い、フォローした。
シンザン記念は翌10日。今年で第44回目を迎える。競馬ファンの間でも、「生のシンザン」を見たことのある人は徐々に少なくなってきており、まして、現役時代を知る人はもう60代にはなるだろう。しかし、こうして名前がレース名として残っていれば、毎年その時期になると、ありし日のシンザンを偲ぶことになる。余談ながら、改めてシンザンという名前がいかに短くてすっきりとまとまった良い名前かと感じる。特定の競走馬名がレース名になっても違和感のないのは異例のことだ。
さて10日。天候は上々でこの時期としては絶好の競馬日和。朝から多くの人々が入場するのを見ながら、私たちも午前9時半に競馬場入りした。この日は、テレビ出演がある。そして、表彰式のお手伝い(もちろんミスだけだが)もある。一日中、バタバタと動き回らなければならない。
テレビ出演はKBS京都。北海道で放映されない局の番組だが、近畿一円で視聴される競馬番組「競馬ワンダーランド」にゲストで呼ばれている。今回は、中島委員長も一緒に出演し、シンザンフェスティバルや地元浦河町のPRなど、約6分間の“仕事”をこなした。
それが終わると、表彰式の打ち合わせが待っている。本職のコンパニオンに混じって、入念に練習が繰り返される。こういう時にも、2人いればまだしも1人なので例年にない緊張感がある。平野さんも大変だっただろうと思う。
いよいよ、レース。シンザンをことさら意識するわけではないが、このところ浦河産馬がなかなか勝てずにいるので、今年あたりはそろそろという期待があった。KBS京都では「浦河産馬4頭を応援します」と平野さんが購入した馬券まで見せる一幕もあった。因みに平野さんの本命は武豊騎手騎乗のメイショウカンパクである。
主役不在の予想が難しいレースだったが、好位から抜け出したガルボが、シャインを3馬身差抑えてゴールし、重賞初制覇を果たした。父マンハッタンカフェ、母ヤマトダマシイ。様似・高村伸一牧場生産。石川一義氏の所有馬で、美浦・清水英厩舎所属。関東馬が44回目にして初めてシンザン記念を制した。
レース後の表彰式では、平野さんがプレゼンターを務めた。失敗できないというプレッシャーがあったはずだが、無事大役を終えてミスシンザンの仕事はこれですべて終了した。
なお、競馬場には、昨年夏のシンザンフェスティバルで馬上結婚式を挙げた吉浜裕元さんと桂子さん(兵庫県尼崎市)も駆けつけて、私たちの控え室となっている7階ゴンドラ席で競馬観戦をした。吉浜さんはかなりの競馬ファンで初めて入ったゴンドラ席に「夢のようだ」と興奮していた。
ここは普段ならば絶対に入れない空間で、口頭でも買える馬券売り場がすぐのところに設置されており、至れり尽くせりである。広く競馬ファンに開放することは流石に無理でも、しかるべき手続きを経て、抽選などによってここで観戦できるような方向で考えられないだろうか。
最後にガルボについて。日高の中小牧場にとってマンハッタンカフェは「お手頃価格」の種牡馬であった(ただし昨年までの話だが)。サンデーサイレンスそっくりの風貌で、産駒にもその形質を良く伝えている。果たしてガルボもまたやや薄手の黒い馬体を持ついかにもマンハッタンカフェらしい馬である。
シンザン記念の優勝馬はこのところクラシック戦線では苦戦続きだが、ガルボの今後に期待したいと思う。
田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。