AW馬場のサンタアニタ競馬場が開催中止に

2010年01月19日(火) 23:59 0

 北米カリフォルニア州のサンタアニタ競馬場で1月18日(月曜日)に予定されていた開催が、悪天候のためキャンセルになった。前日の午後から降り始めた大雨が止まず、この日の午後も引き続き雨天という予報だったことから、騎手の代表を含めた関係者が協議し、第1レース発走前の午前11時45分に、開催中止を決めたのである。

 マーティン・ルーサー・キング・デーだったこの日の開催の、メインレースとして組まれていた芝10FのG2サンマルコスHは、1月24日(日曜日)に順延となり、出馬投票をやり直した上で、施行されることになった。

 と、ここら辺りまでお読みになって、たくさんの読者の方が、「ちょっと、待てよ」と突っ込みを入れて下さっていると思う。サンタアニタのメイントラックは、プロライドという人工素材を用いた「オールウェザートラック」である。雨が降ろうが雪が降ろうが、支障なく開催できるはずの「オールウェザートラック」ではなかったのか。しかもサンタアニアの場合、当初敷設したクッショントラックという素材の人工馬場が、排水に問題があることがわかり、配水管を増設するなどの基盤工事までやり直した上で、プロライドを用いた人工馬場に生まれ変わったはず、だったのだ?!

 ところが、17日午後から18日昼まで、競馬場周辺を襲った40ミリ弱の降雨で、サンタアニタの馬場は見た目にも水が浮いた状態になってしまったのである。

 この点について、サンタアニタの代表者ロン・チャールズ氏は、開催中止を発表した声明の中で、「功罪あるかもしれないが、結論から言えばプロライドは良く機能している」とコメント。「安全という観点から見ると、ここまで極めて順調に競馬が施行されている。ただ、水捌けが悪いという、その1点が問題なのだ」。

 19日(火曜日)、20日(水曜日)は、もともとダークデーで開催がなく、主催者としてはこの間に馬場のメンテナンスにつとめ、21日(木曜日)以降の開催に支障が出ぬよう全力を尽くすとしているが、一方で地元気象台が出している予報によると、競馬場のあるアーケーディア一帯は、「週後半も大雨の恐れあり」。主催者にとっては、何とも好ましからざる方向へと、事態は進んでいるのである。

 そんな中、遂に主催者の口から飛び出したのが、「ダート回帰論」だった。

 アメリカでオールウェザーの導入が本格化した2006年、他州に先駆けて、州内の全ての競馬場はオールウェザーを敷設すべし、との方針を打ち出したのがカリフォルニア州である。その後、オールウェザートラックの功罪が取り沙汰され、アメリカ国内が推進派と慎重派のふたつに割れる論争となった際も、当然のように“オールウェザー派”の首魁と見なされてきたのがカリフォルニア州だった。

 ところが、今回の開催中止騒動を受け、カリフォルニアの主要競馬場であるサンタアニタの代表者が、「ダートに戻すことも、選択肢の1つ。現在の春開催が終了したら、私たちはその可能性について検討することになろう」とコメントしたのである。

 莫大な費用と労力を投じて、人工馬場に変えたサンタアニタである。よもや「後戻り」はあるまいと見られていただけに、この発言は大きな波紋を呼ぶことになりそうだ。

 ことに、全米に散らばる”ダート派”が、これで勢いづくことは間違いない。見た目はダートに近いものの、実用化してみたら、勝つために求められる適性がダート競馬と全く異なることが判明した「オールウェザートラック」。これ以上普及が進めば、アメリカの生産体系が根本的に覆されかねないと、危惧する関係者も少なくない。中には、08年のBCクラシックで欧州勢の後塵を拝して敗れたカーリンの馬主ジェス・ジャクソンのように、自分の管理馬は金輪際オールウェザートラックでは使わないと宣言するほど、人工馬場を忌み嫌う関係者もいるほどだ。

 その一方で、欧州では益々オールウェザーの普及が進み、フランス競馬の総本山ロンシャンにも敷設されることが決まっている。更に、1月28日にこけら落としを迎えるドバイの新競馬場メイダンも、メイントラックはタペタという素材の人工馬場だ。

 すなわち世界の競馬は今、オールウェザー派とダート派に分断されようとしているのだが、サンタアニタが下す決断は、その主導権争いにも、決定的な方向付けを与えることになりそうである。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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