競馬は人間生活の縮図

2010年03月10日(水) 17:50

 どんな時代になろうとも、人間関係の基本は変わらない。だから、昔から言われてきた言葉も生きているし、これからも生き続けていく。そして、こうした言葉たちは国境を越えた普遍性を持っていて、人間関係のあるべき指針となってきた。どれだけ多くの言葉が身についているか、心地よく生きていく知恵だから、大切にしていきたい。

 また、そうした言葉たちがどう生き続けているかは、その社会の有り様にも影響を与えているようにも思えてならない。

 誰だってされたくないことがある。だからされたくないことはしないというのも、人間関係の基本のひとつだが、敢えてそこをついて攻撃を加えることがよくある。そこここで目に触れ耳にするこうした事柄、本当に後を断たない。そうした中に、他人の短所をあばくということがある。これもされたくないことのひとつだが、強いて弱点、欠点を言い立てるのだ。始末に負えない。こうした質の悪い行為は慎むべきもの、恥ずべきものと言い続けていかねばならない。

 競馬のそこここには、人間生活の縮図みたいなものがあるから、人間関係の基本を身近に感じることが多い。仲間たちと一緒にいて心地よいと思えるとき、その基本がしっかり守られているもの。和気あいあいのときの自分を見つめてみると、どういうことかが実感できる。

 手頃なところで確認するには、競馬好きは競馬の交わりの中でするのが一番。交わりの基本はと自分に問いかけ、そこからはみ出さないようにする。しかし、難しい。たまたま競馬でいい思いをしたとき、なかなか黙ってはいられないのだ。不幸に陥った仲間たちを前に、ついつい口に出してしまう。嬉しさのあまりのことなのだが、被害の状況によっては気を悪くすると容易に分からなければならないのに。誰だってされたくないことがある、ここにもこの言葉は生きている。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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