心は物に触れて起こる

2010年03月24日(水) 00:00

 どういうときに何かをやろうとするだろうか。それは、ひとりひとりの心に関することなのだが、例えばここに楽器があったとする。多くは音を立てて奏でようと思うだろう。また、パソコンが目の前にあれば、ちょっと触れてみたくなるのがこの心だ。

 こんな風に、心は物に触れて起こるものだから、何かをやろうとするきっかけが何であるかははっきりしている。

 古くから読まれてきた古典「徒然草」にもその事は書かれている。それによると、心は必ず事に触れて来たる。かりにも不善の戯れ(たはぶれ)をなすべからずとある。全く以てその通りだ。肝に銘ずべきである。

 この言葉を競馬に当てはめてみると、見えてくるものがある。競馬のどういう事に心が動くか。よく知る者と、そうでない者とでは違うところもあるが、両者に共通するものもある。それは、競馬だけが持つ魅力に類するもので、私ども伝える側の人間は、常にその事を探求し続けてきたようなものだ。

 少しでも競馬を知ってもらいたいと一生懸命だった時代もあれば、目の前の出来事からどこが魅力的であったかを探ることに腐心することもある。それもこれも、仲間を増やしたいと願っているからだ。

 心は物に触れて起こる、心に触れるものを競馬の中に見つけることこそ、仲間を増やす最大の手段だと分かれば、どこを見ていくかがはっきりする。

 以前からよく言ってきたことだが、競馬のPRは、競馬そのものの中にあるのだ。競馬そのものこそが、競馬の宣伝になっていなくてはならず、それ以外のことは、言ってみれば余計なことと、それぐらいはっきり言い切っていいのだと思い続けてきた。心に触れるものが競馬のどういうところか。レースそのものの盛り上がりであり、話題を集めるスターホース、そのパートナーである騎手の存在と、昔からちっとも変わってはいないのだ。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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