2010年04月07日(水) 00:00
勝負事は身を滅ぼす基じゃから、真似でもしてはならんぞと、これが父の口癖だったと菊池寛は、小説「勝負事」で登場人物に言わせている。少なくとも、自分の子供の頃にも、こうした言葉はよく聞かれた。
勝負事に対する憎悪の情は、どんなところから湧くのか。それは言わずと知れたことかもしれないが、勝負事に対するDNAは、いくら咎められても消えずに受け継がれていくもの。そういう質だから仕方がないではないか。要は、程度の問題と、昔から片づけられてきた。
以前、21世紀の競馬を考えるというシンポジウムに参加したことがあった。これからの競馬はどうあるべきかと、様々な分野のパネラーが考えを述べ合ったのだが、当事者は競馬の将来を心配する立場。その不安をどう解消できるかに最大の関心があった。
競馬通で知られる作家の浅田次郎氏もパネラーとして意見を述べられたが、競馬の先行きに関しては、ギャンブルに対するDNAはちゃんとあるのだから、競馬ファンがいなくなることは有り得ない。自分も親からしっかり受け継いだ一人、本が売れて印税が入る分だけは、馬券を買い続けますよと語っておられた。ほとんど毎週、競馬場に足を運んでおられる浅田さんは、いつ小説を書かれているのかと思うのだが、そこはきちんとけじめをつけていて、朝から始めて午前中に切り上げているとおっしゃっていた。
だらだらと仕事を引きずる愚は為さず、本を読む時間、競馬に足を運ぶ時間ときちんとされてバランスのとれた日々を送られているご様子だった。
勝負事で身を滅ぼすとはどういうことかをわきまえていればよく、やはり、世の中にあってどう生きるかの判定がついてから、この種のものはやるべきではないかと思う。面白おかしいばかりではなく、自分なりのルールをどう持っているかが肝心では。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。