2010年04月14日(水) 00:00
桧舞台。この言葉の響きがたまらない。颯爽たる居住まい、これを連想する。自分にとっての桧舞台、かつてそこに立ったことがあっただろうか。居住まいは正すものだから、こころの問題と据えてもいいだろう。とにかく、ここぞというとき、それが桧舞台だから、きちんとそのときを迎えたい。
役者にとっての劇場の舞台はいのち、自分の腕前を披露する晴れの場所だから、この桧舞台でどう演じるか、その真剣勝負が人を引きつける。
桧は、昔から宮殿や神社などの建築用に用いられてきたが、高級なものとして伝統芸能、能や歌舞伎の舞台では欠かせない。伝統芸能と桧舞台、これが一番しっくるくる。
この伝統を思うこころは、競馬の世界でも共通する。数あるレースの中でも、サラブレッドの生涯に一度の大舞台、クラシックレースこそ桧舞台と言える。特別なものという思いに満ち、出走馬がスタンド前に登場すると、いつも胸が高鳴る。踏みしめる芝生は、正に桧舞台。そう感じているからこそ、つい声が出てくる。大向こうから役者に声を掛けるのと同じだ。
この桧舞台に立てるものは、特に限られている。だから、どの馬にも公平に声を掛けてあげたい。ここにいるだけで、十分に賞賛に値する。精一杯、称えることで、自分もその中に入っていける。桧舞台に立っているという錯覚、そこまで気を入れることができたら素晴らしい。自分にとっても桧舞台と、その気になってレースに加わりたい。そのうち、その中のどれかに自分の気持ちが乗り移っていくかも知れない。
クラシックレースがサラブレッドの桧舞台なら、レースが終わって引き揚げてくる馬道が花道。その花道を勝利して返ってくる馬がどれか、その場に一番ふさわしいものを事前にひいきできたら、自分もそこにいることになるのだが。なんとかそうしてみたい。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。