2010年04月20日(火) 23:59
ヨーロッパで行なわれる今年最初のメジャーなセールとなる、「タタソールズ・クレイヴン・ブリーズアップセール」が、4月14日・15日の両日、英国のニューマーケットで開催された。
結果は、総売り上げが前年比10.5%ダウンの7,656,500ギニー、平均価格が前年比7.1%アップの79,755ギニー、中間価格が前年比16.6%アップの70,000ギニー、前年29.4%だったバイバックレートが今年は30.9%という指標となった。
市場の構造は、ここまで北米で展開されてきた2歳市場と、きわめて似たものとなった。良い馬には需要があり、相応の値段で取引きされたから、平均価格は上がり、上場馬のレベルは高く層の厚い品揃えだったから、中間価格も上昇した。その一方で、不景気の影響でプレイヤーの数は少なく、市場に流れ込む資金量は絶対的に不足。結果としてセレクティヴなマーケットとなり、総売り上げは10%を超えるダウンとなってしまった。
ただし、今年のこのセールのカタログは、1993年以来最少で、前年比だと10%減だったから、この程度の売り上げ減少は織り込み済みだった。更に、セレクティヴなマーケットと言いつつ、バイバックレートはほぼ前年並みで持ちこたえたから、昨今の一般景気を考えると、充分に合格点を付けられる結果だったと言えよう。
最高価格馬は、2日めに登場した上場番号122番の牡馬(父イルーシヴクオリティ)だった。母が北米G3マッチメイカーS勝ち馬で、昨年のキーンランド・セプテンバーで15万ドルでピンフックされた同馬。セール当日にニューマーケット競馬場で行なわれた、2000ギニーへの最重要プレップレースであるG3クレイヴンSを、イルーシヴクオリティ産駒のイルーシヴピンパーネル(牡3)が快勝したことも追い風となって、価格はみるみる上昇。最後は、英国最大の運送会社エディー・ストバート社のオーナーで、新興馬主として競走馬市場での活発な購買が目立つアンドリュー・ティンクラー氏と、バーレーンに本拠地を置く調教師フォウジ・ナス氏の一騎打ちとなり、最終的には40万ギニー(約6200万円)でナスが購買した。英国でデビューすることになるというのがセール後の談話だったが、馬主名や、英国で誰が管理することになるかは、明らかにされなかった。
注目の日本人は、2組が参戦されて3頭を購買した。日本人購買は、昨年が1頭で、一昨年はゼロだったから、スケールは小さいながらも、今年に入ってから日本人馬主が各所で見せている反転攻勢は、ここでも継続されることになった。
3頭は、それぞれタイプが異なるものの、いずれも好素材だ。
母ロイヤルベルーガの牡馬は、ブリーダーズCマイル勝ち馬アーティーシラーの、初年度産駒の1頭だ。トップラインはサドラーズウェルズに遡り、母系にはヌレイエフやアレッジドらの名が見えるから、アメリカ産馬ではあるものの、明らかに芝向きの血統である。踏み込みのよい、大きな歩様が目立っていた馬で、脚元もすっきりして丈夫そう。高い確率で、高額の賞金を稼ぐ馬になるはずだ。
皮膚が薄くバランスの良い好馬体が厩舎村で評判になっていたのが母コスミックウィングの牡馬だ。父は、これもこの世代が初年度産駒となる、ヘニーヒューズである。ベルモントパークの6FのG1ヴォスバーグSをレースレコードで制し、サラトガの7FのG1キングズビショップSを5.1/4馬身差で圧勝した父の特性をそのまま受け継いでいそうな馬で、即戦力でもあり、奥行きも感じされる、とびきりの好素材である。
母サファガーデンの牡馬は、ジャパンC勝ち馬で、日本でもアサクサデンエン、ローエングリンといった産駒が走っているシングスピールの子だ。小ぶりに出る傾向のある父の産駒だが、本馬はしっかりとした馬格と骨量を誇り、それでいて父譲りの流麗にして上品な体の線を持つ美男子だ。関係者の話では、それほど調教が進んでいたわけではなさそうだったのに、公開調教ではニューマーケットの坂を軽快に駆け上がったから、高い心肺機能を持った馬であることは間違いない。授精能力の低下で種牡馬引退も囁かれている父にとって、最後の大物となる可能性を秘めた逸材であろう。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。